今朝は、猫たちが闘争している夢を見た。相続問題らしい。おとといぐらいも、親戚の某女が母をホームから出してここの団地のエレベーターのある棟に移動させるアレンジをするという、夢も見ていた。なんだろうと、その時は、半信半疑だったのだが。今日の夢では、この一連の騒動により、母がハサミでおともだちと私の絆を断ち切るというものだった。

 

従姉妹たちは皆、妹のエージェントみたいなもので、妹は私や母がどうしているかなどは興味がなく、ただ家を売却したお金の相続のためだけに、居所や去就を知りたいのである。

 

はっきりしないが、以前のマンションの母の友人が、住所を教えたのかもしれない。

 

母から離れたくて、しばらく前、母を京都に移そうと、妹に連絡(不在だったが)して

電話番号(市まではわかるから)を知られてしまったのがよくなかった(非通知のできない昔の電話だから)。

 

私はお金がどうこうというよりは、何事にも介入してきて、金銭にも貪欲すぎるくらいの妹とコンタクトをとりたくないから、絶縁しているわけなのである。母が亡くなったたあとに法的に争うのは許容できるが、それ以前の介入、ゴタゴタは御免こうむりたい。

 

私が母に会ったりしてエネルギーを賦活させなければ、母の寿命はそれほど長くないことを私は夢で知らされている(これはかなりはっきりしている)。いわば、チョイスを差し出されたわけである。そうして、ハサミを持つ母を切り捨てるべく頑張っている(会わないこと)。母は転倒して既に脳に問題があることも、密かに夢で私は知っている。

 

これが一番よい平和的解決であって、そうでないと、私は親戚や妹によって、ホームを出された母の介護に追われて悲惨な人生を歩む未来、これも再三再四夢で見ている。

 

そのシナリオだと、「おともだち」とはもちろん切れてしまって、信じられないが、悪夢のような昔の、親戚の男があらわれて、そこに入り込み、人格破綻者であるところの彼に追い詰められて、私は自殺するという恐ろしい未来図の警告を、受けている。

 

そんな男は追い払えばいいじゃないかと思ったし、思うのだが、そうはならない何かの力が働いているようである。

 

私はもう「書く」ことは、私にとって、このように災いしかもたらさないことがわかってきたので、すっぱり断念している。

 

でも恐怖のシナリオには先があって、私が死んだあと、妹が私の小説やブログを盗んで、大成するらしい。これもかなり事細かに見せられた。

 

昨年の12月おともだちと間違い電話で長電話したときに、朝日新聞の女性がその夫とインタビューにおともだちのところにきて、というのが、実は妹なのである。おともだちは、記憶が混濁しているようで、夢と現実が入り混じった話をそのときしていたが、

それは、ある意味、私が夢で再三知らされている未来、私が死んで、その原稿(N堂殺人事件)などを妹が使うというストーリーとまったく同一だったので驚いた。

 

そのときの電話の話で、N堂のシャンデリアの赤いリボンをおともだちが家に持ち帰ったというのも、現実ではないけれど、未来の「恐ろしいシナリオ」の一部である。多分殉教者とかそういうことだと思う。おともだちが、これもそのときの電話で、君の妹に殺される夢をみた、というのは、そういうことなのではないか。殉教者を仕立てあげるというような。

 

あのときの電話では、私が、妹には何かキツネのようなものが憑依している、そういう風に体がくねっとしたのを見たと言ったら、おともだちが、「どうしてそうなったのだろうね」と何か含みのある言い方をしたのが印象に残っている。

 

(本題から少しそれるが、おともだちとの「大旅行」で、荷物の預け先がなく、スケジュールのなかで唯一行けなかったのが、伏見稲荷大社。そして、雨が降ったのは、吉野の日だけだった)

 

夢のなかでは、妹は息子と一緒にクーデターみたいなものを考えているようで、母が死んで、次に私が死んで、その二つの黒い帽子を重ねて喪章のようにかぶり、私の水玉模様のブラウスを着て、おともだちに会いにいく、という夢も一月ほど前に見た。場所はおともだちの実家の二階でもあるような、山口県あたりでもあるような。

 

こういうふうに書くと、頭がおかしいと思われるかもしれないが、妹はよく吉野などにいっているし、入れ込んでいるので、あながち私の妄想夢とも思えない。自分ではとても考えられない手のこんだ内容だ。

 

この夢からぼんやりわかるのは、私の死後、妹はおともだちを担いで、なにか政治運動を起こし、おともだちを殉教者にまつりあげ、どうもblack widowになるようである。

 

ジャーナリストのほうと、政治家のほうが一緒なのか別なのかはよくわからない。

でも昔から、いつも私の持ち物や着るもの、研究内容などをかすめていった彼女の性格からして、「なりかわり」は十分ありうるだろう。

 

「なりかわり」イメージは再三夢でみたのだが、私はどうして妹をおともだちが選ぶのだろう、と不審に思っていた。でも、それは私が「死んでいる」ということが前提だったようだ。あるいは、学園祭の女装で入賞歴がある息子がおり、そんなツールを使うのかもしれない。

 

そのような、普通のひとは絶対に信じてくれない、私も絶対に避けたい未来みたいなものがあるようで、今の私はとにかく、「彼ら」から姿を隠す必要がある。

 

それで、今日急ぎ、この市のホテルに投宿した。一応一週間の予定だが先はわからない。住所が知られているとすれば、早晩彼らがやってくるだろう。私がいなければ、母の居所もわからないわけである。

 

父が亡くなったときの相続の揉めごとで懲りて、家を売却したお金は皆私名義になっていることも、これらを投げ出して、どこか別のところに行くことを難しくしている。

私は全部放棄してもいいぐらいに思っているが、それでも年金の金額が十分とはいえないので、仕事もしていないし、当座経済的に困るので、それも現実的ではない。

 

しかし、何より嫌なのは、その男であって、それが「運命の力」で押し出されてやってくるだけでも、生きる希望を粉々にするぐらいのものである。それはあるいは、推測だが、妹の画策によって起こるものなのかもしれないが。

 

今の私は孤立無援である。しかし、夢をはじめいろいろなものが危険を知らせてくれたり、あるいは、サジェストをしてくれる。ホテルに隠れたのもそのひとつ。外出はサングラスなしには出かけないという暮らし。

 

今までは夢というのものは半信半疑だったのだが…。あまりに激しい内容だったこともある。でもひたひたと迫る危険を感じたので、今、ここにいる。

 

夢はあるとき告げた。「すべて幼稚園で学んだはずだ」と。

 

一歳半年下の妹は、一人で家に置いておくのもかわいそうとの母の考えで、当時としては珍しく一年早く幼稚園に入り、クラスは違うのに、私の後先をついて回った。そうして、私はある日、つきまとわれたのをよけようとして、転んで椅子の角で口のそばを切って、何針も縫う大怪我をした。

 

おともだちも、そういえば、口のあたりを犬に噛まれた傷跡があったのでは。何かしら因縁めいたものがないとはいえないような…。

 

ちなみに、私の最近の夢では一貫して、犬は災いをもたらすもののシンボルとして出てきているのも、不思議である。