虚妄

時々、妙に涼しい日だったかと思うと、翌日はまた炎熱酷暑の繰り返し。

 

昨日は本当に数年ぶりで、以前住んでいた沿線のTの街へ。一ヶ月前にグラグラしていた歯がついに根元だけを残して大きく欠けてしまって、2週間ぐらいたって、食べるのにも大変難儀するため体力が落ちて、もう限界…と思って、以前かかっていた歯医者さんへ行ったのだった。

 

先生は老齢でもう引退しているかと思ったが、幸い、旧い患者さんだけに限って、診療しているとのことで、みてもらえることになった。

 

家からは1時間半ぐらいかかるので、通うのがかなり大変だが、歯科恐怖症の私が新しい歯医者にかかるのは、ちょっと難しいという事情もある。

 

しかし、その沿線は親戚やら旧同僚やら、知り合いが多いこともあり、彼らと顔をあわせたくない自分がおり、ずっと二の足を踏んで、三年も歯医者へ行かない事態になり、

案の定、虫歯があちこちでひどくなってしまったわけである。

 

歯の治療は結構時間や回数がかかるので、それを始めると、「ここで根をおろす」といったことになることを、どこかで警戒していたこともあるかもしれない。

 

それは、私のなかでまだ最終的に結論が出ていない首都圏の放射能問題もあるし、おともだちがひょっとして北国へ帰るのかもしれないという、去就の定がたさとも関係していた。

 

歯がこんなに短期間にいくつも傷んでしまったのは、ストロンチウムのせいかもしれない…などと考えていたりもしたが、それなら首都圏にいるひとは皆ボロボロの歯にならなくてはならないはずで、やはり自分の思考が偏っていたのだなあ、と。

 

歯医者へ行った結論としていえるのは、スケーリングとか定期健診を欠いていたために、口内環境が著しく悪くなったことが原因だろうということである。

 

それと、ある種のオカルト的思考というか、人や物、場所とか、組織とかと関わると、

「因縁」のようなものが生まれ、自分の人生航路を阻害することになるのではないかという「怖れ」が抜きがたく潜んでいたこともある。

 

しかし、かけてしまった歯やら食べづらい口内環境をつらつら見るに、そういった、

「起こるかもしれない」ことを怖れて、自分の健康さえも損なっていた愚かさに気づいたのであった。要するに、「可能性」はあるのかもしれないが、自分の「意志」さえはっきりしていれば、嫌なこと、状況にはノーで拒絶すればいいのである。

 

悪いところが多いが、なんとか8回ぐらいで済みそうである。9月には終了するだろう。

 

ひさかたぶりに行ったTはおしゃれな街として人気があるが、テレビドラマを見ているような、非現実感が浮遊していた。街ゆくひとや、カフェに集うひとも、草深い、田舎めいたこのあたりとはまったく違って、洗練されているが、しかし、それが何だろうという気がした。

 

PCを展げたテラス席の青年や、外国人カップルと談笑する若いマダムたちは、自分に酔っている、そんなふうに見えた。

 

虚妄…という言葉をふと思った。

 

私は、オリンピックなんて頓挫すればよいと毎日願っているのであった。