黒と白

冬に戻ったような寒い雨の日。昨晩から続いている。おかげで、桜は長くもちそうだ。来週いっぱいお花見ができるのではないか。

 

私の夢のなかでは、いろいろな色が象徴的に使われているようだが、いちばん分かりやすいのは、白と黒である。あと、赤、紫、ピンク、緑、青、水色などがあったりする。

白と黒以外はちょっと分かりにくいこともある。

 

もちろんだが、黒は「悪」として使われていて、夢自体は政治とはあまり関わりがないのだが、「黒」は政治的文脈でどうも使われていることが多いような気がする。

 

私はもともとは懐疑主義的であるので、ある時期、歴史修正主義的な見方に傾くこともあったし、たとえば、反ナチスはある種のコンスピラシー・セオリーであって、本当のところはどうだったんだろうと思う部分が皆無ではなかった。南京などについても同様である。

 

夢がすべて正しいわけではないし、私に夢を見させているものが何なのかはよくわからないが、しかし、あるときを境に、白黒がはっきりした。

 

それは昨年の夏だったか、戦前、なかでも、ちょうどヒトラーが台頭した頃、ドイツに派遣されていた、ある建築家ー今では忘れられているが、当時の少壮建築家ーの回想録を読んだ時である。

 

ヒトラーが首都ベルリンを大改造していたその頃、日本大使館も大幅に改築されることになり、日本庭園造営のための顧問役を任命されて渡欧した、この建築家の回想は、当時の生々しい世相をリアルに伝えていて、とても興味深いものであった。

 

欧州の数々の建築探訪や、美術館、劇場、音楽会など、当時の欧州の文化的レベルやその香り高さも伝わってくるもので、劇評なども、とてもおもしろい。

 

なかでも圧巻は、ミュンヘンでおこなわれたドイツ芸術祭に招待され、ごく間近で、ヒトラーが「タンホイザー」を聴く姿を見た描写である。

 

ヒトラーゲッペルスなどとともに、二階正面の貴賓席に座っているが、著者の席はそのごく近くなので、総統の表情がよく見えるわけである。二つに分けた頭髪の半分がパラリと顔にかかるのは、ニュース映像と同じだが、思いのほか、顔色が白いこと、しかし、そのしろじろとした顔面が、舞台へ向かって拍手をおくる際は、桜色に紅潮し、強い情熱的なもの、熱血といっていいものが身体のなかに満ちているのが表情から感じられ、それがドイツ人の心を惹きつけている魅力なのだろう、と分析している。

 

著者は、貴賓席のヒトラーを眺め、この人こそが緊迫している欧州政局に登場し、歴史を動かす主役であると感じ、貴賓席のあたりに、時代の潮流が渦を巻いているように感じた、と書いている。

 

ユダヤ系の音楽家の作品は一切演奏されず、演奏家についても同様というような当時のユダヤ弾圧の「厳しさ」を述べ、ある程度の批判、遺憾の意はあるものの、当時の同盟国日本出身であるから、この感想や観察はやむをえないと思うし、私は、むしろ「現実」を知るという意味で面白かったのだが。

 

あまりに描写が優れていて面白かったので、めったにしないことだが、アマゾンにレビューを書いた。あまり話題になっていなかったし、自分だけ読むのも惜しい…と思ったからだった。

 

その晩、夢を見た。ぼんやりとした中に、くっきりと、「黒い本」が浮かびあがった。

しばらく悩んで、レビューは取り下げた。

 

それ以降である。私が、ナチスや南京、その他について、歴史修正主義的な見方を一切とらなくなったのは。それほど、その映像は、黒々と「非」「否」をうたっていた。

 

たかが夢といえばそれまでだが…。インパクトがあった。

 

その他にも別の時、黒い旗をオリンピックなどのように、数人で持って行進するとか、そういう「黒い」例もあった。これはいわゆる「ファシスト」という意味だと思う。

 

右派も左派もそれなりに問題があるのではと思う自分には、受け入れにくい面もあるのだが、日本の場合は、戦前回帰的な、軍国主義的なものが、「黒」になるようだ。

 

では、共産主義革命はどうなのか、と思うが、そういうものはあまり出てきたことはない。

 

もうちょっと分かりやすいかたちで夢を見させてくれれば、と思うのだが、それは夢の夢たるゆえんかもしれない。