おみくじ

今朝は4時ごろに目覚めてその後あまり眠れず、終日外出しなかった。胡蝶蘭の花が5つになった。

 

ショッキングな事件がなぜショッキングかといえば、そのこと自体もあるが、それが自分の夢と妙に連続していたからだった。その事故(か事件)があったちょうどその頃、

私は自分が出演する夢のなかにいて、その帰結がその事故であるらしく、そんな夢見をした。つまり、なぜ心が晴れないかというと、現実と非現実の境目が曖昧になったからである。

 

今朝の夢は、「これが白雪姫のお城です」というもので、お城自体ははっきり覚えていないのだが、白雪姫のモデルのお城はスペインにあることはよく知られている。なぜ、こんなものが夢に出てきたのかといえば、思い当たるのは、昨日駿河台の売店で今年のSt.Herman Calendarをパラパラ手にとってみたが、今年のバージョンは「イベリア半島の聖人」特集だったことからきているのではないか。

 

自分はカレンダーがイベリア特集だったことなど、とっくに忘れているのに、それを拾ってきて、白雪姫の物語を思い出せる「それ」はいったいなんなのだろうと思う。

時には「うるさい」と怒りたくもある。夢のなかでは、抵抗している自分がリモコンで消そうとしていたりする。

 

引き出しの中を探しものをしていたら、古いおみくじが出てきた。2014年3月に引いたと鉛筆書きしてあるので、北国を去るひと月前ぐらいに引いたものなのだろう。

 

記憶は定かでないが、神社は近所の護国神社ぐらいしか行っていないので、首都圏に戻ることはもう決まっていたけれど、悩むことが多い日々に、引いてみたに違いない。

 

今見てみると、そのおみくじは「大吉」で、転居の項目は、安心してよい、みたいに書いてあった。が、ちょっと引っかかったのは、「旅立ち」で、それ自体は「良い」のだが、「連れに注意」と書いてある。

 

首都圏へ戻ってきたときの連れといえば、母しかいないので、「そういうことだったのかなあ、やっぱり」と思ったりする。

 

当初は、私一人帰ることにしていたのだが、後見人団体の担当者が北海道には常駐しておらず、仙台と兼任しているので、何かあった場合すぐ面倒を見てもらえない問題があったのだった。関係者的なひとは道内にいるにはいるが、網走在住で、札幌からは遠すぎるのが難であった。

 

さきほど、夕食を食べていたら、6時過ぎ、十勝地方でM4.8ぐらいの地震があった。たいした地震ではなかったようだが、2012年の今頃、十勝川温泉に行ったことを思い出した。

 

あの頃は、311のあと、どこへ避難したらよいか探し回っていた頃だった。「何かあったらOへ」というおともだちの言葉だったが、Oへ行くことは歓迎されていないようであったが、九州や中国地方という思い切りもできず、やはり北国を諦めきれず、余震がまだ結構あった頃だったので、ためしに一時避難を兼ねて十勝川温泉へ行ってみたのだった。

 

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どうも移住は歓迎されないような雰囲気だったので、おともだちのおとうさんには連絡をしなかった。

 

普通ならそれですんだのだったが、母が劇症の食あたりのようなものになって、宿のひとのアドバイス音更町のT州会病院へ入院することになったのだった。

 

T病院は地域医療を主眼に据えているだけあって、24時間受付で、さらに驚いたことには、付き添いの私も頼まないのにすぐ受け入れて簡易ベッドを用意してくれ、食事も病人とは別に3食出たのであった。そのとき食べた豚の照り焼きみたいなものがあまりに美味しくて驚いた。

 

知らない土地で死にかけたので、あまりに心細く、思い余ってついにおともだちのおとうさんに、「かくかくしかじか」と電話をしたのであった。その病院なら大きなところなので大丈夫なこととか、また、帰る日には空港まで送ってあげましょう、と言われたが、こんな寒い時に来るなんて、しかも前もって連絡すればよいのに、とか、結構叱られてしまったのであった。

 

そんなこんなで点滴などでことなきを得て退院した母を連れて、たしか、雛祭りの日に、帰浜したのだったと思う。

 

今振り返ってみると、震災の恐怖があまりに大きく、あの頃は、精神状態というか、判断が少し狂っていたように思う。でも、良い病院に遭遇したために、客死などということは避けられ、大事にならずにすんだ。

 

母は私にとっては重荷であり、自分のなかの「建前」、あるいは放置するときざす「罪悪感」が対応している部分である。

 

どうも、私の「それ」があるとき夢で告げたのは、母が父のところに嫁いだこと(あるいは年のことか)が誤りだったのだそうである(具体的な年をあげた)。

 

そんなことを言われても、私にはなすすべがないが、自分の苦境というのも、自分の問題だけでなく、係累の運命と大きく関わっているということなのであった。