人と人のあいだ

今年一番の寒さかもしれない今日。寒さがこたえた日だった。たいして何もしていないけれど、家のなかをある程度気持ちよく保っておくには、結構毎日いろいろすることがある。そのほか、人間のあいだのエネルギーの授受に関する本を二冊ほど読んで、なるほどと思うことが結構あった。

 

人間関係は、givingとreceivingがバランスがとれていないと、健全な関係を保つのが難しいということ。考えてみれば当然のことだが。それと、相手を責めるとか追及するというやりかたではなく、「自分の気持ちを正直に話す」ことが、やはり関係を保つには重要であるということとなど。

 

こういうことは心理学でいう、バウンダリーの概念に当てはまるが、スピリチュアリズムのエネルギーフィールド的な考え方からしても、自分のエネルギーフィールドをしっかり保っていることが重要であることがわかった。

 

あらゆる人間関係、また、職場、学校などでこれらは言えることなのだろうと思う。

そういう考え方が浸透していれば、いわゆる「ハラスメント」や「アビューズ」は起こりにくくなるはずだが、私たちは幼時から、「人には親切に」といった道徳律や宗教的な愛の概念を刷り込まれすぎて、身を守る文化がむしろ根付いていない面があると思う。

 

とはいえ、人と人との関係は、当人同士が利害関係や依存関係で納得をしていれば、

バランスが悪くても続いていくものだ。クリントン夫妻がその例だ。

 

大統領就任式での、ビル・クリントン元大統領を見て、胸をつかれた。アルツハイマーの疑いは前から聞いていたが、30分ほどの待ち時間のあいだ、誰と話すわけでもなく、うつろな表情で、時折、ひとりだけで唇を動かしているのを見て、往時からはあまりに変わった姿に、驚いたのだった。

 

振り返ってみれば、この元大統領の醜聞は、ずいぶんなものだったと思う。新大統領のあれこれが言われているが、クリントン氏の場合は、場所がホワイトハウスといういわば聖域の職場であり、相手はインターンという、本来自らが保護しなければならない対象であった。偽証罪云々と言うより先に、倫理的にも酷い話だった。

 

抜け殻のようになった、ビル・クリントンを見ながら、人の世の栄枯盛衰を感じた。

わざわざ深夜に中継を見る価値は、新大統領のスピーチなどより、ここにあったかもしれない。