2017年

今日も暖かい日だった。昨晩などは暑くて目が覚めて暖房を切ったほど。昨日は成人式だったので、最寄りの駅でも振袖姿のグループを見かけたりした。

 

まずは平和な一年の幕開けである。胡蝶蘭は順調に花芽を伸ばし、シクラメンも元気に咲いている。ラヴェンダーだけはひとつだけついている花がなかなか開かないのだけど、去年も2月ぐらいが最盛期だったから、もう少し見守ろうと思う。

 

アメリカの新大統領就任を前に、相変わらずの、良くも悪くも「トランプ旋風」が吹き荒れて、なにかとお騒がせである。

 

ふと、最近はすっかりご無沙汰していたドリーン・バーチューが、今年のyear readingをどう出しているのだろうと思って見てみたが、年初めには、ウィークリーと並んでイヤーのも日本語版がアップされるのだが、なぜかイヤーだけががなく去年のものがあがっている。それで、英語版を探して見てみた。

 

https://www.youtube.com/watch?v=y4AtHLwWmks

 

私が最近あまりドリーンのリーディングを視聴しなくなったのは、良いこともいっているけれど、いつもあんまりポジティブで、なんだかフワフワしていて、これでいいのかなあと思ったからだった。ただ、暗い気分になったときは、「そういう見方もできるなあ」と、upliftingな気持ちになるので、そういうメリットはあった。

 

今年のリーディングはこれまでと全然異なって、まず、ドリーン自身がかなり動揺しているようで驚いた。このひとは、これまでこんなにためらいがちにもごもご話すことはあまりなかったのだが。

 

今の世界情勢からいって、そういうことはあるかもしれないが、martial lawという言葉が出たときにはびっくりした。いわゆるclairvoyanceがこんなことを言うのか、という思いである。しかも、彼女はこういう具体的な事象をこれまで挙げたことがなかった。

また、4月については戦争のことも語っている。子供が守られている、というカードで、「戦争」のニュアンスを読むのは、さすが、clairvoyanceだと思った。このへんにとてもリアリティを感じる。

 

もしこれが現実になれば困ったことではあるが、しかし、そこはいつもの彼女らしく、

祈りの力、どんな状況にあってもこころの中に平安を保つことを強調していることは、

解決策というか、私たちの側の対応として、適切なことだと思う。

 

ふと、正教会の祈りのなかで、「衆人に平安」という言葉が何度も何度も繰り返されることを思う。

 

長いあいだ、戦後の平和な世界に生きてきた私たちにとって、この祈りの言葉は、内的な平安しかイメージできないものになっているが、振り返れば、過酷な歴史の時代のほうが人間世界では長かったわけだから、「ピース」というのは、文字どおり、物理的な平和(=戦争のない状態)でもあっただろうと思う。

 

これも予測可能なことだが、自然災害についても触れている。

 

このあいだ、おともだちが電話で私に「いくつになった?」と聞いて、ちょっとぎょっとしたのだった。

 

なぜなら、何なのかわからないが、あるとき、65という数字を夢で知った。無意味な数字とは思えないから、自分の歳かな、と思った。

 

おともだちは、なぜそんなことを聞いたのだろうと思う。

 

いずれにしても、今年は正念場、なのかもしれない。それと、ドリーンが言うまでもないが、最近のメディアのコントロールぶりは本当に異常なものになっているので、

メディアからある程度距離を置くことは、賢い選択だと思う。それと、政治的な騒乱に「巻き込まれない」こと。このあたりは、クレバーなサジェスチョンをしていると感じた。

 

つい最近、渡米の際に必要なESTAに、使用しているSNSを申告しなくてはならなくなったことなどもちょっと驚きだった。そのリストにさすがにミクシィのようなローカルなものは入っていなことがちょっと笑えたが。