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戦争と平和 第7話

暖かかったのは一昨日まで。昨日からぐっと冷え込んだ。一昨日は三日月に見えた月も、昨晩は半月になっていた。今日は立冬

 

戦争と平和も最後から2回目となった。今回はボロジノの会戦から始まって、ロシア軍の退却と、モスクワからの人々の避難のありさま。

 

先に書いたように、今回はアウステルリッツ以上に、戦闘のありさまがリアルで、ショッキングだった。が、見方を変えれば、戦争というのはそういうものなのだ。残虐シーン満載の戦争映画とは違うのだが、独自のリアリズムで砲弾にやられた兵士などを映していて、その視線は容赦ない。

 

けれども、凡百の戦争映画とは違うのは、あくまでも映像がこのうえなく美しいことである。なぜグロテスクと感じないのだろうか。どこか品位を保たれているのだ。

 

冒頭、ロシア軍とナポレオン軍、両軍が平原で対峙している風景は、おそらく、なにか絵画にインスピレーションを受けていると思う。緑の草原、低くたれこめた雲と、暗鬱なダークブルーの空。手前の、ナポレオンはじめフランス側の軍装の華麗さ、遠くに霞んで見えるロシア軍。このありさまは、まるでナポレオンがもっている望遠鏡で覗いたみたいであった。

 

前にアンドレイが最初に負傷して倒れたときもそうだったのだが、今度も戦闘で倒れて

意識を失う寸前に見える青い空や草花が印象的だった。カメラは彼の意識に瞬間ですり変わる。死屍累々の戦場を一匹の犬が駆け抜けていく。

 

深手を負い、これ以上の戦闘を避けるために、クトゥーゾフは退却するのだが、それは、ロシアの冬に耐えられないであろう仏軍をモスクワまでおびき出すための賭けでもあった。クトゥーゾフの側近たちは、なぜ退却なのか、モスクワを明け渡してもよいのか、と詰め寄るのだが…。

 

かなたにモスクワを望み、進軍するナポレオンは 、なぜモスクワを捨てていく、愚か者めと罵り、不審に思う。暗黒の中世に逆戻りするつもりなのか、と露人を貶める。

 

美しい街、女王よ、余は汝を解放する…とつぶやくところがなかなか印象的で、フランス人の文化的優越意識、ロシア人を「土人」ぐらいにしか思っていないところが垣間見えて興味深い。そんなナポレオンも考えてみれば、コルシカ人で、地中海人としての古い歴史はあろうが、本土からみれば、辺境出身者であるはず。

 

ひとびとは我も我もとモスクワから脱出する。馬車の長い列。ロストフ家も避難するが、ロストフ夫人は家財道具を捨てられない、私たちはもう一文無しとか、大騒ぎで、ナターシャや伯爵が退却したロシア軍の傷病兵のために館を提供、避難先にも一緒に馬車で連れていこうとするので、ヒステリーを起こしてしまう。人々のモスクワ脱出と仏軍の侵攻シーンはたいへんな迫力だった。

 

かつての戦争や戦役のときに、繰り返されてきた避難、脱出。物に執着するひとと、先を見るひとと。

 

ロストフ一家は避難先で、連れてきた傷病兵のなかに「さる高貴なおかた」、すなわちアンドレイがいることを知る。看病をするナターシャだが、アンドレイの余命はあとわずかしかない。

 

アンドレイはボロジノの救護所で、ナターシャを誘惑したアナトリイが隣のベッドで足を切断されるのを見(このあたりは貧血を起こすぐらいのリアルな描写)、「憐れんでくれ。もう僕には足がない」というアナトリイ、さらにナターシャをも許す気持ちになったのだという。「どうしてももう一度君に会いたいと思っていたのだ。そうしたら…」、と巡り会えた喜びを告げる。

 

 臨終に司祭が呼ばれ、アンドレイはロストフ家の人々や妹マリア、息子に見守られながら息をひきとった。

 

そこで、カメラはアンドレイの意識にすり変わり、どこか明るい草原を歩いていく。そこには彼の薄幸な妻リーザがおり、さらにその先の草原では初めて出会ったときのナターシャがいる…。ロシアの田舎の風景。丈の高い花が咲いている。夏だろうか…。

 

アンドレイが負傷して倒れる際に前もつぶやいた言葉「すべては単純明快だ…世界は愛されたがっている…」。この言葉が耳にこだました。