I am Nora

今日もよく晴れて、風は少しあるものの、陽射しがまぶしいほど。昨日は半袖Tシャツのひとも結構見かけたけれど、今日もこの季節にしてはかなり暖かい。ジャケットをはおると、暑く感じる陽気だ。

  

昨日は神保町の古本市に行く予定で出かけたが、あちらへ行ってもお昼を食べるところはどこも混んでいるだろうと思い、茗荷谷丸ノ内線を降りて、お店を探しているうちに、お茶大の前まで来てしまったので、ついでなので、久かたぶりに入ってみようと

考えた。

 

未来の天皇がここの付属小学校へ入ったころから警備が厳しくなったと聞いていたが、そしらぬ顔で門衛詰所前を堂々と通り抜けたら、何も誰何されなかった。(笑)

 

以前よりずいぶん綺麗になって、学生たちがたむろするようなコモンズと呼ばれる棟までできていて、至れりつくせりである。

 

女性問題の映画やらレクチャー、ジンポジウムなどが、たくさん貼り出されている。

 

そういえば2週間ほど前、ベアテ・シロタ・ゴードンのドキュメンタリー映画を見に、参議院議員会館の講堂へ行った。これもずいぶん立派な建物にリニューアルされていて、おそらくきわめて高度な耐震構造にしたのだろうと思われる。

 

ベアテの映画は、期待していた、憲法作成の部分の具体的な話がほとんどなく、後半は

婦人参政権運動の流れを追うのに終始していて退屈してしまったが、前半、とくにはじめのあたりは、レオ・シロタ夫妻が戦前の東京でシャリアピンを家でもてなしたり、

いろいろな海外からの客が訪れるサロンのようになっているフィルムを見ることができ、とても興味深かった。

 

シロタ氏自身が庭で遊ぶベアテの姿を撮ったフィルムなどもあって、この時期に既に8ミリだか35ミリだか知らないが、動画を残していることに驚いた。また、戦前の赤坂、乃木坂界隈の外国人が多く住むあたりの風景も、初めて見るもので、新鮮だった。

あのあたりは洋館がたくさんあったようだ。

 

映画で語っているベアテさんは、ユーモアのある面白いおばあさんで、父のシロタ氏は

ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」のピアノ版を初演(ルービンシュタインが断ったので)したということで、家で、赤ん坊のとき、箪笥の引き出しに入れられて

父のピアノの上にのせられて、ペトルーシュカを聴いていたのだそうである。シロタ氏はコンサートの前の「弾きこみ」かたは大変なものがあったとか。

 

古き佳き時代のウィーンの風景なども冒頭にあり、後半の部分ももっとコンパクトにしたら面白くなったのに、そこに力が入りすぎて、残念だった。もっとも婦人参政権は、重要なことではあるのだが。シロタの演奏がたくさんあるので、音楽が好きなひとには魅力的な映画なのだが、DVDにもなっていないし、商業館での上映もないので、私も今回議員会館で上映があると知って出かけたのであった。

 

ベアテは非常に賢い、慎重なひとで、憲法草案の作成に自分が関わったことを、かなり後になるまで話していない。というのは、そんな若い女性に担当させたと知ったら、信頼度が揺らいだり、それでなくても、ケチをつけたい人たちを利することになると考えたからであった。私の見るところ、西洋人の合理性と、日本で育った東洋的な落ち着きというか何かそういうものを、兼ね備えている印象である。

 

彼女の憲法への寄与は、結局のところ、男女平等に関わる部分や家族制度のあたりに

限定されたが、それでも、映画のベアテが語るには、「日本の担当者(男性たち)の抵抗がたいへん強かった」のだそうだ。ベアテは空理空論でそれを言ったわけではなく、

子供のときから身近で見ていた女中さんや子守など、日本の女性の境遇から発想したところが、優れている所以であると思う。

 

翻って、昨日歩いた大学のキャンパスには、「女性の社会進出とグラスシーリング」といったシンポジウムのポスターが貼ってあったりしたが、基調講演は、この大学のかつての学長で秋篠宮妃の在籍や博士号取得に貢献しているはずのH女史、他のパネリストも、「女性の品格」というベストセラーを書いて有名になった、これも某女子大の学長だが、本人が品格とは程遠い、テレビ出演大好きおばさんであり、こういう面々が

語る女性問題といってもなあ、と溜息が出るのであった。

 

リーダーシップ教育とやらもしているそうで、パンフレットなどが置いてあったが、

結局、ロールモデルとしてレクチャーをするのは、JPモルガンのストラテジストとか、

NHKの解説委員とかばかりで、これも「なんだかなあ」と思うのみであった。

 

STAP細胞事件でわかった、いい加減な博士号を出した早稲田、先日酷いレイプ事件があったにも関わらず、犯人の学生を退学にもしない甘過ぎる慶應大学、お茶大博士号事件もそうだが、日本の大学はもはや大学の体をなしていない、専門学校に毛の生えたようなものである。

 

キャンパスは綺麗になったけれど、「大学は終わった」という感を深くした。

どこか帰属する場所があれば…とか探していたけれど、自分は自分でよい。そんな私は独立野良猫党といってよいかもしれない。

 

 

 

 

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