おともだちから電話があって、12月に一時帰国するらしいことは嬉しい報せ。引きこもっていてはよくないし、どこかに活動の場を見つけなければと思って、保護猫カフェに行ったり、バザーに出かけたりしたのだけど、発展性はなかった。
「しろいねこ」が姿を見せなくなったしまった痛手は大きくて、なにごとにも執着することこそ、ひとを損なうのだなあとつくづく思うものの、また一方で、愛着がない世界というのも、荒涼としていて、寂しい。
自分の思い込みかもしれないが、自分の内面と自然現象や外部の事象がシンクロしているように思えることもあり、あまりそういった思考に「嵌らない」ようにこころがけてはいるのだけれど、猫が去ったころ、咲き誇っていたクジャクソウの花が枯れてしまったりして、気が滅入っていたところだったのだ。
だから、おともだちの声を聞くことができて、とても嬉しかった。ずっと会ってもおらず、音信がないと、おともだちの存在も脳内世界のなかのものになって実体がなくなっていってしまうからだ。
そういう意味で、やっぱり会っていろいろ率直なところを話したい、電話ではなく、顔を見てでなくては、うまく表現できないこともあるからだ。
基本、人間はひとりひとり価値観も感じ方も違うから、それを率直に話す必要があると思う。振り返ってみると、私はなんでも言えるようで、実は、あれこれ考えすぎて自分の「気持ち」自体を話すのがうまくない、というところもある。
おともだちは、基本、旧い友人であるというのが原点。その後の接点は30年以上なく、再会してからもまたインターバルが長いので、そういえばあまり話をしていないのだった。
ただ、ここ数年、自分の価値観が変化したために、旧い友人たちとほとんど断絶してしまった自分であるが、「おともだち」とは、逆に会っていないがために、繋がっているという不思議な関係である。
一緒にいると楽しいひと、だけど、一緒にいることは少なかったひと、といえるかな。
12月もあまり雪が降らないうちだといいかもしれない。今年は世界的に大雪という説もあるし。https://www.theguardian.com/news/2016/oct/31/ifs-buts-long-term-weather-forecasting-weatherwatch?CMP=twt_gu