戦争と平和4話

今日は夏のように暑い日だった。買い物に出かけたら、道行く人のかなりが、半袖姿だった。寒いのは嫌いなので、このまま、こんな日が続けばよいとか勝手に思うのだが。

 

BBCの「戦争と平和」も今回で4話目、ちょうど半分まで来た。

 

妻を亡くして自責の念に駆られ腑抜けのようになって、田舎の領地にこもっているアンドレイを親友のピエールが訪ねて、野原を二人が歩くシーン。二人の小さなシルエットが、画面の左端に一本の木が屹立するのと、対応するように、右端に置かれて、木と彼らの影を結ぶゆるやかな丘陵のラインが、線描のように煌めいて、実に美しい!と感じた。

 

前に書いたように、このドラマ化作品のいわば「つかみ」は「エロス」にある。トルストイをこんな風に料理してしまえることに、感嘆するほかない。ストーリーやシーンだけでなく、「エロス」を、人間と人間のあいだに流れるエネルギーのように表現していて、それを映像や演技で見せるのは難しいことだと思うが、成功しているのである。

 

今回で言えば、ロストフ伯爵一家がミハイル伯父の家でクリスマスを過ごしにいく場面がそうだ。伯父の愛人?はなんだかジプシー(今はロマだが)風であり、伯父は彼女とボヘミアンな感じの温かみのある、小屋みたいな家に住んでいる。

 

そこで皆でひしめきあってクリスマスの余興に興じている。すると、突然ナターシャが民族風のダンスを憑かれたように踊り始め、コマのようにだんだん回転を速めていって、というシーンが、熱気と土着、少なからぬ妖しさがあって、素晴らしかった。

 

ここに漂うエロスは生命力あふれる「妖しさ」とでもいうべきもの。しかし、最近の映画やテレビにはこの種の、昔の本のページをめくるような、上品な妖しさはないので、稀有なことだ。

 

踊る娘を見て、ロストフ伯爵は、「…これは血筋だからな…」といった言い方をしていたが、この伯爵家にはタタールの血とかが入っているという設定だったかしら?

 

アンドレイに恋したナターシャが眠れぬ夜に窓辺でソーニャに気持ちを語るというシーンなども、アンドレイが上の階の窓にもたれていて、実は二人の会話を聞いているのだが、セリフも特別凝ったものではないにもかかわらず、普通は陳腐になるところが、全然それがなく、見ているほうもなんだか胸が熱くなってしまった。

 

一方で、息子ニコライの賭博の借金で素寒貧になったロストフ家だが、ロストフ伯爵夫人が、持参金の潤沢な娘とニコライを結婚させようと画策し、息子と喧嘩になるといった、家庭内の下世話な話も実にリアルで、ロマンチックラブとよい対照をなしている。甘いところはかぎりなく甘く、辛口はあくまでも辛口というように…。

 

昔の映画、一番古い「ジェイン・エア」がそうだったけど、最初に大きな本が現れて、

書かれている物語のページを一枚一枚めくりながら、それが読み上げられるといったスタイルがよくあった。

 

これはそういった形式ではないけれど、トルストイの長〜い、あの物語を、夢のなかのイメージのように、魅惑的に語っている。ペテルブルクの夜会や、シューバにくるまって乗る冬の橇から見える、ほうき星の軌跡。それは「変化」をあらわすんだ、とニコライがナターシャとソーニャに語りかける。

 

「僕たち三人が皆、昔のように子供だったら…」とニコライ。青年、少女たちは、すでに若くして、過去を懐かしんでいた。