王の秋

朝晩冷え込む日が続く。今日は満月にほぼ近い、冴え冴えとした月が樹間にかかっている。寝るまでに何度かベランダへ出て眺めてみよう。猫が原も夜はひっそりとして、虫の声だけがしている。

 

ボブ・ディランノーベル賞受賞は、なんだか政治的な匂いもしなくはないが、ノーベル文学賞といえば、たまたま今日立ち読みした雑誌に、三島由紀夫川端康成の確執やUFOへの関心とか、古神道、輪廻転生について書かれたものがあって、興味深いものがあった。

 

三島には「美しい星」というSFがあって、私も昔読んだが、自分たちを宇宙人だと思っていて、地球を救うというミッションに憑かれた、奇妙な一家の話なのであるが、その舞台がここからそう遠くない、同じ沿線のH市なのである。

 

これは来年5月に映画になって公開されるので、また人気が出るかもしれない。SF的なのだが、そこはかとないユーモアと文明史的観点もあって、面白い作品である。

 

それと、今回初めて知ったのだが、三島は戦争末期、工場に徴用されていたときにたまたま一緒だった、新興宗教に入信している学生に誘われて、ある教団を訪れているのだが、それが、いわゆる「日月神示」をあらわした教祖のところだったのだそうである。

そこで「みな、土地から持ち去られ、何もなくなる」「偉いひとたちが、獄につながれる」といった、「お告げ」を聞いたのだそうだ。のちの、東京大空襲や戦犯のことだろうと思う。

 

当時三島はこの種のことに関して非合理的と否定していたらしいが、だんだんと超常現象やUFOなどに興味を持つようになっていったらしい。

 

鏡子の家」などにも、神道系の修業をしている青年が出てくるので、若いときの体験はずっと伏流水のようになっていたに違いない。若い時だし、無意識に強い影響をあるいは受けたのかもしれない。

 

彼は11月25日に「豊饒の海」を完結させ、そして亡くなったわけだが、なぜその日付だったのかについては、その日に筆をおき、且つ、人生も終わらせるべく計画した説もあるが、ドナルド・キーンが言うには、原稿の完成はその夏あたりで、自分は見せてもらったと言っているのだそうだ。

 

いずれにしても、なんらかの意図をもって日付を選んだのだろうが、興味深い考察があって、一般にいわゆる中有、49日を経ると転生するといわれているが、25日から49日目は、1月14日で、三島の誕生日となるのだそうだ。

 

つまり、三島はあの小説を完成させてはいるが(しかし、はぐらかされたような、どことなく未完の印象はある)、再び、自分自身に転生して(誕生日)、もう一度、自分の人生と小説を合体させて、その続きを「生きる」?ことを考えたのではないかという説である。

 

これ自体はいささか無理がある推論であって、同じ誕生日でも年や星まわりは異なるわけで、西洋占星術などの考え方からいえば、また違った位相になるのではないかと思われる。

 

しかし、いずれにしても、そんな計算をしたのかどうかは不明だが、49日目が自らの誕生日にあたるというのは、ちょっと驚くことである。

 

そうして、これも関係はないのであるが、草津翁が亡くなったのが1月14日、主の割礼祭、聖大ワシリイの祝日である。

 

前にも書いたけれど、カッパドキアのバシレイオスが歴史上初の、レプラ患者の療養施設をつくったという話を考え合わせると、草津翁の命日は興味深い。割礼祭の意味はよくわからないが…。

 

バシレウスが王を意味することを考えると、翁の出自、また、さらには、「すめら」にこだわった三島へも連想はつながる。草津翁はまた草津王でもあったわけだ。

 

三島は皆なんとなく「日本の右翼」みたいなイメージをもっているけれど、彼の精神的なルーツや感性はとても西欧的だと私は感じる。ギリシャや聖セバスチアンへの思い入れなど。

 

70年の在位を誇ったタイ国王も亡くなり、「王」について思いをめぐらせる秋。