学芸会

天気予報では気温が低くなるといっていたが、蒸し暑さのこたえる日。

 

戦争中の体験談をまとめた文集のようなものを読んでいたのだが、いろいろ面白い発見があった。

 

疎開先の日光で、精錬所へ勤労動員されていた高等女学校女子学生だったある筆者は、あの日光金谷ホテル(私は行ったことがなく、クッキーを食べたことがあるだけ)が宿泊所だったが、彼女たちは女中部屋に入れられたが、学習院の小学生もそこに疎開していて、皆本館に泊まっていて、作業などもないようだった、という話。

 

今上天皇が日光に疎開していたのは知っているが、記憶では日本旅館だったような気がするが、いずれにしても学習院のお子様がたのある学年は、あのクラシックホテルの粋を集めた素敵なホテルに疎開していたのだろう。びっくり仰天。

 

さて、面白い話もあって、神奈川の二宮あたりの田舎のお寺に疎開していた現在80代の東京の女性の回想だが、普通、疎開児童の話というと、寂しさとひもじさで、聞くも涙、語るも涙の場合が多いのだが、彼女たちは6年生でお寺の本堂で暮らしていたのだが、ただ寂しいといっていてもしょうがない、せっかく18人も仲間がいるのだから何か楽しいことをやってみよう、学芸会がいいのではないかと、やってみようということになった。

 

大映映画の狸御殿を結構何度も見ているこたちがいたので、あれにしようということになり、日舞をやっていた男の子がちょうどいたので若殿役にして、セリフなどは覚えているのを適当に喋って、歌って踊って、練習を重ね、若殿様の袴はダブダブのモンペで代用し、柳行李のフタを縦に立てて、そこに紙を垂らして「第◯幕 〇〇の場」などと言葉書きを書いたのをめくったり、襖を幕に見立てて、となかなか本格的なものになったのであった。

 

当初、先生たちは、ただ遊んでいるんだろうと思っていたという。

 

疎開児童たちは地域の民家でお風呂をもらい湯するのであるが、そうした学芸会のお楽しみの話が地域のひとたちにも伝わって、ぜひ見せてくれということになり、地区の会館で公演することにもなり、下級生たちを預かっている集落からも、ウチでもやってくれというリクエストが来るほどになった。

 

最初は泣いてばかりいた子供達も、学芸会の練習を始めてからというものは、夢中になって泣くのも忘れ、「狸御殿」だけでなく、股旅物の踊りや漫才までやったというから、小学6年生とはいえ、すごいというしかない。

 

驚いたのは、年が明けて(1945年)2月には、進学する子たちは東京へちょっとだけ戻って受験を済ませ、卒業式をし、3月には東京へ戻ったのだという。戻ったのが正確にいつなのかは書いてないが、その後空襲に会って、友人や家を失ったのだという話であった。

 

狸御殿は若尾文子市川雷蔵が出ている有名なミュージカルだが、あまりちゃんとは見たことがないが、たしかに子供達というのはセリフ暗記力が半端ではなく、私も知人の家でディズニーのアニメの「ルトルマーメイド」を子供達と見た時、セリフが始まる前に皆でセリフを言ってしまうので、驚いたことがそういえばあった。

 

戦争の話といえば悲惨な思い出ばかりが語られるわけだが、こんな可愛らしいエピソードもあったことに感銘を受けた。

 

また、今回筆者がこれを書いたのも、実はバス停でバスを待っていたとき、たまたま立ち話をした見知らぬ老婦人との会話で、戦時中の話になり、老婦人は「戦争中の話といえば苦しんだ話が多いわ。疎開児童たちが自分たちで一生懸命楽しいことを考えて、それを自分たちで見つけた。ましてや小学生でしょ。こんな楽しい話があったことはぜひ記録しておかなくては。あなた、きっとどこかに投稿すると約束して」と確約させられたという背景があるということなのであった。

 

縁は異なもの。疎開中の狸御殿の話は、「皆苦しい思いをしていたのだから、こういうことは記念文集とかに書いちゃダメだよ」と、若殿役の同級生にかつて言われて、筆者は書かなかったことがあったのだそうだ。

 

バス停での見知らぬ老婦人との会話がなければ、私たちも、この疎開児童の「楽しい」話を知ることもなかっただろう。

 

 

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