長女の進学 その2

猛烈な台風が関東を去った朝。昨夕も、雨があがると一斉にセミが鳴き出した。豪雨があがると、遠くでシロニャンが涼んでいて、今朝は同じ場所で黒スケが朝から涼んでいる。

 

ここは川が近くにないので大丈夫だったが、同じ市域でも川が氾濫し、床上浸水がかなりあった。

 

現在、天皇皇后は長野(たぶん軽井沢)に滞在中で、週末は草津に移動するということだから、恒例の、皇后の音楽ワークショップ参加と、演奏会出席が続くのだろう。

 

皇后の音楽好きは悪いことではないだろうけれど、ワークショップでのピアノ演奏はだいたい弦楽器とのデュオとかトリオとかで、最初のころはよかったのだが、最近は老眼もひどいのか譜面も読みにくそうで、合奏する海外演奏家も普通のダメ出しはできないだろうし、名誉というより、気苦労がありそう。アーティストは本来妥協したくないはず。

 

もちろん音楽祭への行幸啓で町としてはメリットもあるだろうが、警備が大変だと聞いた。以前は毎年ではなかったのだが、最近は毎年が恒例になっている。

 

さて、先日、筆頭宮家長女の進学の話を書いたが、その後、その母、つまり宮のみならず宮妃も博士号保持者ということを知り、驚いて調べたら、たしかに2013年3月にお茶の水女子大にて、論文提出により博士号が授与されている。

 

いわゆる「論文博士」だが、これは名誉博士などとは違い、在野で研究を続けたりするひとが長い年月をかけて研究をまとめ、大学に提出して審査をあおぎ、授与されるケースが多く、課程博士より粒粒辛苦、困難な道の印象がある。

 

が、驚いたことに、宮妃は息子を幼稚園に入れるために大学の特別研究員となってのち、4年ほどで博士号を取得しており、しかるに、CiNii(サイニー)という、研究論文のデータベースがあるのだが、そこには2、3本しか論文実績はなく、しかも、そのひとつは、国立民族学博物館の機関紙に掲載された旅行エッセイ。その雑誌は私も知っているが、学術誌ではなく広報誌の性格が強い、軽い読み物である。

 

そういえば、宮のほうの論文の指導をしたS教授(文化人類学、故人)というのは、国立民族学博物館の館長だった。その後、アイヌ関連の財団の理事長とかに移籍した。もともと、東南アジアがフィールドだったので、アイヌのことをわかっているのだろうかとも思ったが、学界というのはそういうところなのだろう。

 

たぶん、この宮夫妻は夫婦で民博と懇意なのであろう。民博の人事はなにかと不透明で、中国人の「中国をフィールドとする」女性研究者がいた。ハーヴァードで東宮妃の妹の博士論文のディフェンス(公開質問会)を傍聴したということを私にも言っていた。日本人と結婚していて本人もいいひとではあるが、中国をフィールドにする研究だったら、中国人が有利に決まっているのに、この人事は偏っているなあと思ったことであった。

 

ちなみに、宮夫妻は二人とも、大学では外国語として中国語を履修しているといわれ、宮は「これからはアジアの時代だ」とか言っているらしい。

 

話を宮妃に戻すと、宮妃の博士論文はどうも実体がないようで、女子大生の結核に対する意識調査のアンケートをまとめた10ページほどの卒論程度(卒論でもそんなに短いものは普通なく、レポートというべきだろう)であるらしい。いずれにせよ、お茶の水女子大が非公開扱いにしているので、知るすべがない。

 

普通、博士論文は、申請すれば補助金が出て、たいていの人が書籍化する。もちろん、書籍化されていなくても、論文自体は非開示ということはまずありえない。

 

あきれるばかりの「特権乱用」だが、指導教官が誰かもわからないし、審査にあたったのが誰なのかも不明だが、学位授与当時の学長が誰かをネットで調べると、羽入さんといって、同じ学科の(あちらは哲学専攻だが)2年先輩だった。このひとが学長になったときいたとき、「ふーん、研究を本当にしたいひとは、こういう政治的な管理業務は嫌なんじゃないかなあ。こういうのが好きな、実は役人みたいなひとだったんだ…」と思ったものだった。哲学を志すひとは、学内政治なんて興味がないと普通思われるのだが。

 

ところが調べてみると、この羽入女史こそが、博士号以前に、宮妃が特別研究員となってから、いろいろ指導をしたり、面倒をみていた張本人だったようで、羽入氏は2009年4月に学長就任、2009年12月に、母妃が特別研究員であるため設けられた枠により親王が翌年からお茶大幼稚園に入園との記事が新聞に掲載されている。

 

出産・育児で研究を中断した研究者の復帰支援のための特別研究員(RPD)の制度自体は、2006年(平成18年)に設けられた制度でありすでに存在していたわけだが、宮妃がこの制度の利用を考えた際、その受け入れ先として選ばれたのがお茶大であり、2009年、就任したばかりの羽入学長が面倒をいろいろ見たということなのだろう。

そして、幼稚園入園のための特別研究員枠というのがおそらく設けられたのだろう。

 

しかし、このRPD(Restart Postdoitral Fellow) https://www.jsps.go.jp/j-pd/rpd_gaiyo.htmlはその名が示すように、本来博士号保持者、あるいは、その課程にあって、出産などで研究を中断したものを対象とする、奨学資金であって、宮妃はこの時点では博士号も持っていないし、課程に入っていたわけでもなかった。この制度は奨学資金も出ているわけなので、対象資格に該当しないことも問題なら、金銭の授与があれば、さらにおかしい。

 

また、多分研究をするつもりもないのになぜこのようにまわりくどいことをしているかといえば、お茶大の幼稚園は、試験と抽選の二段階選抜なので、抽選に漏れることはいかんともしがたいので、これを思いついたのかもしれない。学習院でなぜダメなのかはわからないが、東宮家に対するライヴァル意識が原因のようでもある。

 

そうして、のちに博士号を取得して、特別研究員の対象要件を満たすという「つじつまあわせ」をしたのだろうが、順序が逆だし、実績もないのにそれを認めた大学組織はもう腐っているというしかなく、恥ずかしいことだ。

 

羽入学長は2015年に学長を退任、理化学研究所の理事となり、さらに今年、国会図書館の女性初の館長となった。堂々たる経歴である。論功行賞か、と嫌味を言いたくもなるが、いかに大学経営をやったからといって、文系の羽入氏が理研の理事に就任というのも、不思議な構図である。

 

理研は戦前、原爆の開発を担っていたし、今も、競争的資金をたくさん獲得しているに違いない。この春たまたま具合が悪くなって都心からタクシーで帰ったら、和光市あたりで広大な敷地の建物があって、見たら「理化学研究所」と書いてあった。国立の殺風景な研究機関と違って、妙に立派な、独特に洗練された不思議な建物であった。周りのグリーンなども綺麗に手入れされている。欧米の研究機関風。

 

羽入氏は理事にはなったものの、昨年のSTAP細胞騒ぎ(あれは関西のセンターだったが)で嫌気がさしたのか、次は国会図書館へ行ったのだろうか。

 

ネットでいろいろ検索していたら、面白いものがあった。羽入氏がビジネス番組で、女性のリーダーシップについて語っていて、リーダー塾みたいなものの話をしている。「みがかずばバイブル」という妙な名前の冊子を「こういうのをつくっています」と見せていて、リーダーの心得みたいなものを説いていたが、この「みがかずば」というのは、お茶大の校歌からとられているわけで、この校歌の歌詞は昭憲皇太后下賜の和歌なのである。

 

みがかずば 玉もかがみも なにかせん

学びの道も かくこそありけれ

 

 

それを、故意に「これは和歌からとられているのです」と由来が皇室に関連することに敢えて言及を避けていることに、作為を感じた。「和歌」といってもいろいろあるわけで、普通「誰々の」あるいは「万葉の詠み人知らず」であるというふうに、作者に言及するのが一般的であるのに。

 

こんなことは些末なことだろう。しかし、皇族特権をこのように濫用する人格というものに、私は強い危惧を感じる。発端は「長女の進学」から調査をはじめたのであったが、こうした不正を平気でする人間が未来の天皇の母として力を持つことは、非常に憂慮すべきことではないだろうか。

 

大学の不正は、もうたいして期待していないし、昔から腐っていたところもあるので「さもありなん」だが、それにしても、学者としては、魂を売っているとしか言いようがない。

 

もうひとつ、ここが最重要なのだが、自分も知らないうちに影響されていた、東宮家に対するネガティブキャンペーンが真実かどうかということだ。ひょっとしてほとんどが、この筆頭宮家サイド、あるいはそこと結託する勢力から出てきているのではないだろうか。

 

みがかずばーーー

元学長も筆頭宮家の方々も、みがかなければならないのは、魂。