日航123便の憂鬱

世間はお盆休みだ行楽だとか浮かれているが、8月は喪の月だ。

 

広島、長崎の原爆記念日終戦記念日、そして単独機としては死者数世界最多の墜落事故だった日航機事故が起こった月でもある。

 

昨日はその事故から31年目というのに、リオの五輪のせいでテレビの報道も五輪一色、スポーツ根性物の物語がニュースを独り占めしていて、私には非常に不愉快だった。

 

毎年、日航機事故が起こった日が近づくと、テレビの特集番組がたくさん編まれていたが、今年はあまりそれがない。30年を過ぎてひとくぎりというのか、風化してきたのというのだろうか。

 

しかし、私にとって直接は関係ないものの、85年のこの事故の記憶は鮮烈である。第一報を聞いたのは、早めの夏休みの帰省からかえってきたばかりの日で、夕方職場から帰宅する途中、近所の酒屋さんでビールを買ったところ、酒屋のおばさんが「羽田を出た飛行機が行方不明になっているそうだ」と教えてくれた。文京区に住んでいたころである。酒屋の隣は今では珍しい畳屋さんで、とても庶民的な界隈だった。

 

その後は時事刻々報道がなされ凄惨な状況があきらかになった。生存者がわずかにいたことで、美談的なニュースはあったが。

 

月日は過ぎ、毎年恒例のように、8月の声を聞くと、遺族の慰霊登山や事故の話がニュースになった。やがて、インターネットというものが発達してきてから、徐々に、この事故についてのさまざまな疑問、謀略説などが垣間見られるようになった。それ以前は、いわゆるアンダーグラウンド的な出版では語られていたのだろうが、一般人は知るよしもない。

 

墜落地点は群馬、長野、埼玉の県境あたりだが、夕方農作業をしていた山梨県の農家の女性が何か奇妙な光を見た地点を◯◯山のあたりといって警察に通報したのだが、それから後の捜索が、まったくそれとは違った方向に向けられたこととか、そうした通報自体が県警レベルで握りつぶされていたようなところがあったことを去年の特集番組で知った。不手際というより故意の歪曲の印象もある。

 

また、昨日の毎日新聞はよい記事をいくつか書いていて、当時の管制官の証言をとっているのである。これを読めば、墜落地点の報告はあがっていたはずなのに、捜索が始まったのは翌日からである。

http://mainichi.jp/articles/20150811/mog/00m/040/010000c

 

米軍の協力を日本が断ったとか、米軍しかもっていない赤外線サーチライトを貸そうというのに断ったとか、いや、米軍が撃墜したのだとか、自衛隊撃墜説までいろいろ謀略説はある。いずれにせよ、救出がもう少し早かったら、もっと救える命があったというのは多方面から言われている。

 

私は去年テレビを見ていて、機内で書かれた遺書のひとつに、前方で爆発のような光があがったといったことが書き残されているのを知って、「ああ、これはやはり事故ではなく事件だったのだな」という感を深くした。

 

遺族にとっては、しかし、謀略による撃墜というストーリーはあまりに残酷であり、受け入れがたいものであろうと思う。だから真相解明を求めてはいるが、いわゆる謀略説は遺族会などではとりあげられないのかもしれない。

 

爆発のことを書いた手帳を持っている遺族の女性は、どこか大手企業の中堅社員のようで、非常に聡明な印象を受けたのだが、こうした遺族がこれからも真相究明を続けていってほしいと思う。

 

中曽根元首相が、日航機事故にはもう一つの真実がある、と言っているそうだが、彼などはそれを知っているのだろう。

 

昨日の記事では、もうひとり、元パイロットの証言があって、事故の報をきいて、同僚とすぐ現場に自主判断で向かったという話があった。パイロット魂というか、社命ではなく、「個人」として即行動していることがすごい。報道のひとでも、ヤブこぎをしながら、自力で辿り着いたひともいた。現場写真の送信も、今とは格段に違い、大変だったはずだ。

http://mainichi.jp/articles/20160810/dde/041/040/052000c

 

日本では戦後まもなく、航空機事故が続いた時期があり、大島の三原山に激突した「もく星号」の事故も、謎が多いとされている。

 

熊本地震の少し前、この近くの入間航空自衛隊の飛行機が鹿児島で墜落して、乗員すべて死亡という事故があったが、この事故も、死者の数が二転したり、墜落地点の特定が遅く、救助が遅かった謎の事件であった。事故現場で回収作業にあたっている作業員が放射線防護服のようなものを着ているのも、奇妙であった。

 

御巣鷹山の捜索にも、自衛隊がまず当日のうちに現場に行き、何かを探していたという証言もある。

 

ただし、これらのことを知っても、すぐさま真相が究明されるわけではなく、私は

時々深い憂鬱に襲われるのである。犠牲になるのはいつも、「インサイダー」ではない人たちだからだ。

 

神がいるとするなら、その正義はどこにあるのだろうか。

 

昨日は駿河台へ行って、静かななかで、123便の犠牲者のためにたくさんロウソクをあげてきた。自分ができるのはせめてこれぐらいである。4つの柱にかかっているイコンは時々架け替えがあるようで、中二つはイエスとマリアで不動だが、右端はパラスケヴァだった。

 

パラスケヴァは実在の聖人というより、金曜日の象徴で、受難とも関わることから、

123便の日本人たちを改めて思った。

 

左端には、垂らした巻物を示す男性の聖人と、それを示されている女性の聖人のイコンがあって、飾り文字過ぎてインスクリプションが読めなかったのだが、誰なのだろう。

何か「真理」とかを示しているのだろうか。

 

自分の利益のためには人を殺すことをなんとも思わないひとたちが日本や世界を牛耳っていることが、私のこころを憂鬱にする。

 

そういえば、8月の初めに、御巣鷹山の慰霊祭のために登山道の手入れをしていた日航の社員が滑落死した。もう定年間際のひとだったようだ。事故の負の遺産は、こうして社員のひとたちにも、重荷をおわせていることを改めて思った。RIP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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