熱波の日々

この週末はたいへんな暑さ。家の外へ一歩出ると、湿り気を帯びた熱風がまとわりつくような感じだ。しかし、ここは内陸で朝晩の気温差があるせいか、夜はそんなに寝苦しくない。

 

いろんな事件が立て続けに起こるので、情緒的な反応をしている間がないうちに、どこかで地震がおきたり、テロが起こったり。

 

とはいえ、今の日本は10日の参院選一色に染められている。

 

とくだん支持政党も入れたいひともいないし、選挙に関しては投げやりになっていたのではあるが。

 

残虐な事件や報道が多すぎるので最近はテレビはつけず、もっぱらラジオでニュースを聞くぐらいだが、選挙前なので朝は候補者の政見放送が流されている。

 

この土地でも電波の関係で東京選挙区の候補者のがここ数日流れていて、聞くともなしに聞いている。まったくの泡沫候補が次々に出てきて、それはそれでとても面白い。トンデモの演説をぶっている大変な老人が出てきたり、おおむね名前を知らないひとばっかりなのだが、大政党でない、無所属の候補などで、案外、説得力のある話をしているひとたちが時々いる。

 

トンデモも含め、いろんなひとたちがいろんな意見を言えることが、「言論の自由」だなあと、改めて感銘を受ける。くだらない政治家も多いが、それでも一党独裁よりはずっとすばらしいことを忘れてはいけないと思う。

 

今日流れていた中高年の女性候補は、今の小選挙区制が元凶で、これが導入されてから、政権与党や大政党にしか票が入らなくなったということを訴えていたが、実際そうである。93年に細川首相のときに政治制度改革でこう決定されてしまったが、今の政治の劣化はここからはじまったとはよく言われることだ。決断は細川首相だが、小選挙区制にそもそも旗をふったのは、小沢一郎といわれている。

 

自分の印象でも、小選挙区になってから、選挙の醍醐味が減ってしまった。結果が先にわかるようなシステムになった印象がある。政見より「勝つ」ことだけが優先されるような…。

 

年金を株式につぎ込んだり、外国へカネをばらまいたり、失敗している経済政策を「道半ば」と言いつのったり、安倍政権の失敗は火を見るよりあきらかだが、こうした弱小候補がいっしょうけんめい主張している問題点に、昨年の労働者派遣法の改正で、いわゆる派遣労働が名実ともに正当なものとして認められたことがある。

 

それと、やはり問題は、例の安保法制の、強行採決

 

どの党も、非正規労働が問題であることを言いながら、どうして、派遣労働が大手を振ってまかり通る法律が国会を通ってしまったのか、私には信じられない。また、野党にしても、これを命がけで阻止するという姿勢が見られなかったように思う。それもおかしなことだ。

 

安保法制は絶対に認められないということではないが、あの強行採決はテレビで見ていても、ひどかった。速記録を止めさせたり、暴力まがいのもみ合いになったり。

 

安倍政権の一番の問題は、いろんな制度を拙速に変えすぎることだと私は感じている。

国防や安全保障の問題はもちろん重要なのだが、法律を変えたり、導入することには、やはり時間をかける必要があると思うのだ。18歳選挙権もふってわいたように、急に言われ出した。少しでも票が欲しいのだろう。安保法制を変え、武器調達庁みたいな軍需産業応援のようなセクションをつくったり、やることが早すぎて問題だし、結局、防衛関連企業の利益を狙ってつくられたものでしかない。

 

憲法改正の是非なども、私にはどちらでもいいみたいに思っていたが(英国のように成文憲法がない国もあるし)、ここへきて、やっぱり憲法死守に考え方が振れた。

 

もともと今の憲法は占領軍に押し付けられたものということで、改憲を叫んでいるひとたちがいるわけだが、もし、よいものであるなら、それが押し付けられたものであってもよいのではないか。

 

今日も、誰か、幸福◯◯党のようなトンデモの党の候補者が、今の憲法は占領軍のケーディスという共産主義者の若者が作ったものだから、というようなことを政見放送で言っていたが、たしかに現行憲法は突貫工事で短期間にできたもので、また、そのベースになるのは、占領軍のなかでもいわゆる進歩派に属するひとたちが、自分たちの理想をある意味体現すべく、作成したものである。

 

占領軍のなかでは、二派に分かれての熾烈な争いがあって、結局ケーディスは、元華族夫人との恋愛スキャンダルで故国へ帰されたし、また、若い女性の参加者として有名なベアテ・シロタなども、敵対するウィロビーの回想録などを読むと、亡命ユダヤの貧乏ピアニストの家に彼女の学費を出せるわけがないので、背後に資金提供者がいるとか書かれていたが、ベアテの回想を読むと、アルバイトをしながら、苦学して大学へ行ったことなどが、リアルに書かれている。

 

実際、ベアテが子供のときから日本で暮らしてきたなかで、日本の女性の過酷な地位の低さや環境に疑問をもって条文を起草しているのである。だから、それは机上の空論ではなく、生活実感からきたものだ。

 

上流階級はつねに例外的だからそういった問題はないが、下ぐらいの中産階級以下の日本の女性の地位の底上げをしたのは、実にベアテ憲法作成チームに入っていたからこそ可能であったと私は感じている。

 

また、若い無名の女性をそうして大抜擢した、作成チームの慧眼と英断にも、感銘を受けている。

 

結局、彼らは、占領という特殊な時期と空間を利用して、母国でも不可能なある種の壮大な実験をしたということになる。そういった人脈は結局主流にはならなかったが、

憲法だけは「遺産」として、遺ったということになろう。

 

この点では、日本は本当に戦争に負けてよかったのだと思う。御真影を拝んでいたような環境から開放されたわけである。(私の行っていた小学校にちょっとした山みたいなものがあって建物があり、私は水道設備のモーターか何かが入っている機械室かな、とずっと思っていたが、それはかつての「奉安殿」だったことに最近気づいた)

 

今度のダッカの事件でも、「日本人だ、撃たないでくれ」と叫んだひとがいたそうだが、親日的といわれているバングラデシュでも、本当に日本人は歓迎されているのだろうか。このひとの意識に認識のズレがあるのを感じる。

 

JICAは途上国援助でさまざまな事業をおこなって現地で感謝されていると日本人は思っているだろうが、それは多分ひと昔前のことで、援助といっても、結局は建設などを受注する日本企業をひきつれての援助であるから、現地のひとも今はクールに見ているのではないだろうか。

 

今回亡くなった方々は建設やインフラ系のコンサルタントなどのようで、技術系ゆえに、情報に疎かったのだろうか。ラマダン明けの、米国独立記念日も近い、何かと物騒な日時のころに、オープンカフェで食事というセンスはやはりあぶなっかしい感じがする。

 

今回初めて知って驚いたがダッカでは、英国や英連邦の国は、大使館ではなく、ハイコミッショナー高等弁務官といえばよいのか、を置いているということだ。大英帝国はまだ生きているのだ。

 

その英国も、EU離脱で、足元のスコットランドウェールズ北アイルランドに独立の志向が強くなってきて、面白いことだ。ラスプーチンの予言、「バッテンベルクの家系のものが王位につくときに、英国王室は消滅する」の実現も近いのだろうか。

 

そういえば、7月17日は、ロシア皇帝一家の虐殺の日(それが本当だとすればだが)。最近読んだ「ロシアンルーレット(原題)」という本によると、ラスプーチンの暗殺5人組には、もうひとり英国情報部の部員が加わっていたのはほぼ確実らしい。ユスポフ公のケンブリッジでの学友とか。(英国情報部はロシア革命がインドに波及しないよう、中央アジアなどで情報活動をしていたのだそうだ。)

 

歴史の真実は少しずつヴェールを脱ぎ始めたのだろうか。