雨の一日

今日は朝から雨。降ったり止んだりで、結局終日雨模様だった。雨なのに外出するのは好きではないが、前から予約してあったので、料理のクラスへ行く。

 

ロシア料理なのだが、なぜ行ったかというと、クリーチをつくるというのがあったからだ。クリーチは駿河台のあの味しか知らないのだが、あの味がなぜかとても好きで、

今年もクリーチだけ買いにいこうかとか考えたのだが、私にとっては、あそこは、避けているところなので、それなら自分でつくればいいじゃないかということになったわけである。

 

結論からいうと、今日の先生のクリーチはパネトーネみたいな味で、もうちょっとパサついているのが好みの私にとっては、?の味だった。アイシングもものすごく手をかけてつくった(メレンゲに三種ありとかうんちくを言っていたが)わりには、妙にねっとりしていて、自分のイメージとは違っていた。

 

また、時間がかかるからしょうがないが、一次発酵はすでにさせてあって、この種のものを自分でつくったことがない私にとっては、プロセス全体を見ることができなかったので、ちょっとがっかり。

 

先生は調理器具マニアらしく、河童橋で売っている、スーパーベンリーとかいう、胡瓜のファルシーのケースをつくるのにスライスしたりできるものとか、いろいろ面白いものを見せてくれた。どれもこれも河童橋で買ったのだという。私はまだ一度も行ったことがないのだが、有名な河童橋は本当に面白いところらしい。

 

全体として、ロシア料理にしては、モダンで軽く、いわゆるフュージョンなのかもしれない。美味しかったのではあるが、家へ帰ってもお腹がいっぱいで、夕ご飯には、冷汁などを食べた。西洋料理は結局のところ、最終的には皆同じようなものだなあ…とか思う。

 

平日なので、主婦のひとたちがきているわけだが、子供の受験や就職の話とかで2、3人のひとが盛り上がっていたが、今の世の中を見ていて、まだ「いい学校」とか、就職先にこだわっていることに、驚いたりした。いろんな意味でのサヴァイヴァル教育が大事だと思うのだが。

 

私は、子供のときから、いわゆるblack sheepだった。小学校では、先生たちが「難しい子」だとかいろいろ言っていたらしい。学校が嫌で勝手に帰ってきたりしていたし。

大人になるにしたがって「処世術」をそれなりに身につけて普通のフリをしているが、

実は猫をかぶっているわけだ。

 

普通の人たちはこんな生活をしているのだなあ、という意味で、社会勉強になった一日

だった。

 

今は、リトヴィノフという、ソ連時代の外相をやっていた人の伝記を読んでいるが、これがとても面白い。

 

ロシア帝国のドイツ国境に近いベロストクという町に生まれ、この町は、ポーランド分割の三回目にプロイセンに割譲され、その後ナポレオンの保護を受けたワルシャワ公国、さらにロシア帝国に編入されたりと、数奇な運命をたどった。

 

彼はゆえに、ポーランド語、ドイツ語が両方使われる環境に育ち、ユダヤ人枠のある上級学校にはすすめなかったので、ロシア帝国軍に入り、そこではじめてロシア語を習得。

 

アゼルバイジャンのバクーの部隊に配属され、外国資本が入った石油産業の他に、工業や貿易も盛んな土地で労働運動がさかんだったため、マルクスなどをひそかに読むようになった。

 

バクーの工場で起こったストライキの鎮圧役だったのに、それを拒否して、軍から放逐。その年に結成されたばかりの非合法のロシア社会民主労働党に入党。キエフに移住して、製糖業の会社でマネージャーになったが、そこでの経理畑の経験が、のちに革命組織の財政係や武器調達のための商社経営に役にたったという。

 

ロシア社民党キエフ委員会に入ったが、革命宣伝のパンフレットなどを配布して、逮捕され、獄中でレーニンの著作を読んで感銘を受け、レーニンに会うために脱獄してスイスへ、というように、若い頃から波乱万丈の人生。

 

革命後も、未だ国際的に認知されていない革命政府のロンドン代表部としてさまざまな駆け引きをおこなったりと、当時まだまだ不安定だった、革命新政府のありかたなどを見ていても、歴史の妙味を感じる。

 

ロシアの革命家には珍しく、夫人は英国人で、イギリスがまだソヴィエト政府を承認していない時、とりあえず部屋を借りて、「ロシア人民大使館」という看板をかかげ、

職員は妻を含めて3、4人、ソヴィエトから資金がこないので、イングランド銀行で帝政政府名義の預金を没収したとか、スケールも大きく、さらに元の経理マンの実務家としての面目も躍如というところ。

 

当時はまだ反ソヴィエト政府勢力の武装活動がさかんで、ロシアは内戦状態だし、英仏米連合がそれを支援する干渉軍をおくったり、と、現在後付けで、革命政府が確固たるものだったように思っているが、風前の灯火だったことなどがわかって、興味深い。

 

ずっと先になって(まだ読んでいないが)、スターリンモロトフに疎まれたが、レーニンの片腕として、たまたまオールド・ボルシェビキという経歴をもっていたことが、粛清を免れることにつながったのだという。メンシェビキからボルシェビキに転向したひとたちは、粛清されたものが多いようだ。

 

まだまだ最初のほうなのでこれからだが、子供のころに多言語環境で育ってドイツ語に堪能だったことが、ナチスの危険を早くに察知したことにつながっているようだ。

 

帝政と革命といっても、皮一枚で、あっちにもこっちにも転びえたのでは、ということを考えると、本当に不思議なことだ。

 

私たちも未来から見れば、「歴史」を生きているわけで、未来の「歴史書」を逆に読むことができれば面白いのだが…。

 

というか、「歴史」は自分たちがつくる、ということになるのだろう。