選挙の年

ソメイヨシノが終わると、まるでバトンタッチされたように八重桜があちらこちらで、濃いピンクの花をつけ始めた。花も示し合わせたりするのだろうか。伝言ゲームのように。

 

夏の参院選挙を睨んで、いろいろな思惑がとびかう。特段の動きはないけれど、選挙のたびに利用されてきたのが拉致問題だが、それもだんだん風化していて、こころが痛むことである。

 

日本の政治家は利益でしか動かない「人でなし」にいつからなったのだろうか。横田めぐみさんの両親にインタビューした本を昨日読んだが、日本の国会議員は「やる、やる」といって口先だけ。それだけでなく、会って話をしても、所詮ひとごと、というのが伝わってくるのだそうだ。横田さんたちはアメリカでブッシュ大統領はじめ、何人か議員にも会ったらしいが、アメリカ人のほうずっと情にあついというのか、話しているうちに、暖かいものが伝わってきて思わずこちらが落涙してしまうのだったが、日本では政治家に対してそんな経験は皆無だったという。

 

日本と北朝鮮は国交がないから、民間人が訪問して探すことなどできないから、政治家が頼りなのに、彼らは放置されたままで、選挙などのためにただ利用される。拉致問題に熱心だということで票が入るからだ(それさえも最近は減っているのではないか)

 

今日、母とお昼を食べたが、たまたま「おともだち」の話になり、どうしているのか、めぐみちゃんとは違うが、それではまるで監禁されているようなものなのではないかと、しきりに気にしていた。暮らしていけたりしたとしても、やはり精神的に拘束されているような状況だとしたら、どういうものなんだろう…と。

 

今日の話とは別に、そもそもそういう世界と接触したのは、渡米したときからずっと目をつけられていたのかな、という気は私はずっとしているのだが。LAの知人が日本から◯◯たちが探りを入れにきたと告げたのが、そもそも帰国させないための嘘だったのでは、と思っている。そうしたリクルートはとても巧妙だと読んだことがある。

 

夢はあてにならないものも多いが、ずっと以前、ビーバーの毛皮でつくったデビークロケットがかぶっているような帽子をかぶった司教みたいなひとに、「おともだち」が

ひもで緊縛されている夢を見たことがある。これは奇妙で、意味がそのときはわからなかった。

 

私が「連れもどし」に行くといっても、本人の意思がどうなのかわからないし、今の状況が不明では却ってとんでもない危険を双方に招くという気もする。大統領選の帰趨がひとつのヤマ場かなという気はしている。

 

それに、世界全体の流れも変わりつつあるような気もする。

 

めぐみちゃんの本を書いたジャーナリストは、まだ誰も「拉致」を言わないときから、地道に調査をしていた人だった。彼らはずっと単なる「失踪者」扱いだったのだ。だから最初につくったテレビ番組も「そんな荒唐無稽な話なんてありえない」と無視された。政治家というより、むしろそういった良心的なジャーナリストの地道な調査が長年かかって道を開いたのだった。

 

もうひとつ。私は共産党というものによいイメージをもっていなかったが、議員のなかで唯一拉致について独自に調査していたのは、共産党参議院議員だったことを今回知った。社会党(当時)などの野党はむしろ北朝鮮にパイプをもっていたのに、まったく関わらなかったのとは対照的だ。

 

今度の参院選でも、与党を敗北させるのに野党共闘がうたわれているが、その際、各選挙区で、自党の候補をとりさげて、野党連合で当選者を出そうとしているのは、共産党が多く、野党第1党の民進党は鼻息だけ荒く、譲るということはあまりない。

 

ずっと「おともだち」の帰還を待ち続けてきたわけだけれど、案外、今年のこの二つの日米の選挙で社会の流れが変わって、実現化するかも、という気がしたりする。