ぽかぽか暖かく、春のようなうららかな日。桜もふくらみ始め、福岡では開花宣言。
沿線の土手には菜の花、モクレンなどがまっさかり。住宅街の街角には沈丁花が香っている。
春うららの日にふと思う。
「おともだち」は帰ってくることがあるのかなあ…。それはいつなのかしら。なんとなく春のような気がしていたけれど。
ずっと引きこもりのような生活をしているのでよくないと思い、このあいだから、世界の料理を英語で習うクラスへ出かけて、興味深いことがいろいろあった。どの先生も英語のネイティブスピーカーではないのだけど、それが却ってよい部分もある。つまり、コミュニケーションのツールとしての英語ということになるから。
どのクラスも予約をとるのがたいへんなぐらい人気がある。そういうところはさすが東京で、海外生活の経験者もそれなりに多い。が、特定のクラスに継続して通うのではなくアナウンスのあったところにその都度予約を入れるので、ある意味気楽な運営方式である。
彼女たちは料理を教えるだけでなく、自国文化紹介のコーディネーターや自国への食ツアーをオーガナイズしていたりしたりしていたりもする。
私もずっとぶらぶらしているのも精神衛生によくないし、なにかしたいとは思っているのだが、おともだちがいつか帰ってくる、という予測をしていたりもするので、だったら、自分は何をどうすればよいのか、考えあぐねている。
私自身ができること、してきたことは、「書く」「教える」、あと、いろんな会のオーガナイザーみたいなこともやってきたわけだが、おともだちが、何か具体的に考えているのだったら、それと擦り合わせて考えてみたいと思っているのだが。
それとも、帰ってきたとしても、「何もしない」という風に考えているのだろうか…。
そういえば、再会してまもなくは、料理の本を一緒に書く、とかいっていたりもしたのだったが。
一番最後(直近)の料理のクラスは、アトスの修道院のレシピというものだったが、
先生は女性なので行ったことがあるわけではなく、説明はいわば初歩的なものだったので、もっと詳細だったら面白いのになあ、と思ったりもした。
連絡をとるのは難しいのかもしれないけれど、なにかのかたちで、考えていることを教えてもらえたらありがたいです。
私がバッグに入れているポーチ(赤紫色で白いバラの刺繍があるもの)は、おともだちが、タロットを入れるのにプレゼントしてくれたもので、小さめのカードを入れて持ち歩いています。母がそれを見つけて、すごく綺麗なポーチというので、Pさんにもらったのよ、と言ったら、「最近、音沙汰がないんじゃないの」というので、「私のブログは読んでいる(はず)」といったら、ブログは世界のどこでも読めるのか、と、トンチンカンなことを言って、驚いていました。母は杖をついて歩くのがやっとなので、早い時期に別居して、今ではよかったと思っています。