怒りの日

レクイエムとは全然関係がないが、わたしのなかには、表現されてこなかった何十年分もの怒りが溜まっていることに気づいた。

 

かつての友人、家族、同僚、同窓生、近所のひと、もろもろである。

 

無能な政治家や官僚、とりわけ天皇および、それを許している日本のシステムなどへの怒りはもちろんあるが、それは個人的体験による怒りの投影みたいなものかもしれない。

 

社会に適応するために「振り」をしてきた蔭で、怒りは蔭にあるゆえに、一層ふくらんできた。

 

こうした「虚偽の振る舞い」の原因の一端は、組織の形態をとった宗教としてのキリスト教にあるようにも思える。

 

思えば、本当にくだらない人たちと付き合っていたものだと思うが、自分が「本当の姿」を見せていなかったから、「それに見合うひとたち」が寄ってきたというに過ぎない。

 

世間体と慣習、欲得だけで生きているようなこんなひとたちなんか、ミサイルで吹き飛ばされてしまえばよい、と思う。