小さな訃報

なかなか、体力が回復しない日々が続く。背中が痛く、昼間は横になっているとラクである。なんとなく、いろいろなことを考える。

 

ふと、数年前会いにいって別のブログにも書いた、昔ハルビンの修道院に子供の頃入っていた白系露人のおばあさん(女医さん)のことを思い出し、病院がつくっているウェブ写真館を見てみた。

 

そうしたら、最後に小さな字で、昨年夏に95歳で亡くなったと書かれていた。

 

女あかひげ先生と言われ、たいそうな名医で、地域のために非常に貢献した人であったし、湯川秀樹などと並び称されるぐらい有名な物理学者の夫人でもあったので、普通だったら、新聞に訃報が載っても不思議ではないのだが、そんな風に静かに逝ったというのも、名声をもとめるでもなく、ただただ患者のためにはたらいた、その人にふさわしくもある。

 

お祖父さんはバルチック艦隊の艦長だったというし、それなりに有名な家系のひとなのだろうが、一族の誰も、あまりそのことを詳しくは知らないというのも、他の露人家族と違って、興味深い。

 

不思議なのは、この夫妻には息子が二人いるのだが、長男は母親が教育熱心すぎたことが仇になったか、いろいろ紆余曲折の人生で、たしか40代ぐらいで亡くなったと、以前のウェブサイトには書いてあったが、今はその部分は削除されていた。

 

ウェキペディアでも、次男の方の名前だけ、出ている。

 

彼女をモデルにして小説風の伝記にした作家がいるのだが、それを読んでみたところ、

息子ではなく娘にしてあって、しかも、親と折り合いが悪く、渡米して弁護士になった、という話につくりかえてあった。

 

自分の記憶が曖昧なのかと思い、病院のサイトに新しく膨大な写真がアップされていたのでみてみると、たしかに若い彼女は男の子二人とよく写真におさまっているので、間違いはないだろう。

 

一族が経営する病院は、大規模化して、評判もよく順風満帆であるが、私が会った数年前は、このおばあさんは本当に古い昔ながらの小さな家に、家具や本もあまりなく、ひっそりと暮らしていた。記憶もだいぶぼやけており、口数もすくなかった。

 

彼女の両親のことも、親族はあまり知らないようだ。露人研究をやっている人たちのなかでも、なぜかこの一家の話は出たことがない。父親はウラジオから会津にわたり、そこで洋服の商いをしていたが、函館や長崎、神戸でもなく、会津というところが不思議である。その伝記風小説によると、日本の特務機関の将校の口ききがどうもあったようで、彼女の父親は帝政再興を願って、極東で運動をしていたようだ。

 

在京露人社会とあまりコンタクトがない両親、いないことにされてしまった長男と、

このひとの周りには謎が多い。ロシア人だが、母親はギリシャ系ということで、

だからロシア人には珍しいペネロープみたいな名前をもっているのかもしれない。お姉さんのクレオパトラとともに。

 

 

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