日光 けっこう

比較的暖かい日が続いている。なんといってもお日様の光を浴びることができる日が多いのは、ありがたい。垣根の山茶花がみごろ。

 

常食の全粒粉のクラッカーを防災用にも備蓄しようと、いつも買っている大阪の通販会社に同じブランドのビスケットと一緒にまとめ買いのオーダーをした。

 

届いた箱を開けてみると、なにかおかしい。匂いが…。おのおののパッケージが石鹸のような、洗剤のような強い匂いを放っている。この会社はドラッグストアなので、食品に洗剤の匂いがつくような場所に保管してあったのだろうか。段ボール箱自体には匂いはない。

 

害はないだろうが、食欲が削がれるような匂いなので、会社に電話して、返品の手続きをした。メールでもよかったのだが、苦情をきちんと言いたかったのだ。

 

交換も考えなくはなかったが、またこんなことがあると嫌だし、食品は食品のお店で買おうと思ったことである。ただし、この全粒粉ブランドの、クラッカーとビスケットを一緒に買えて、尚且つ、高くないお店というのがなかなかなかったのだった。結局、Kaldiという、あちこちに店舗も展開している輸入食品店(もともとはコーヒー販売店のようだ)の通販サイトで買うことにした。

 

世の中は年末にさしかかり大騒ぎだが、Kinzerの「ダレス兄弟」を読んでいる。原題は、The Brothers.

 

ダレス空港というのが、「J・F・ダレス」にちなんだものだとは知らなかった!

これはアイゼンハワー時代に命名が予定されたが、ケネディは冷戦の象徴のような人物にちなむ名前に乗り気でなく、シャンティリー国際空港という名に変更し、ターミナルのひとつの名前にのみ残すことになったのを、弟のアレン・ダレスが横槍を入れて、ダレスになったという経緯があるそうだ。

 

62年の開港時にはプール(池?)のようなものがあって、その側にダレスの胸像がつくられて除幕式もあったそうだが、90年代に空港の改装工事があったときにプールは埋められ、彫像も撤去、この伝記作者が彫像のゆくえを探したところ、搭乗手荷物が流れてくる第三コンベアーの向かいの会議室に、ゴルフトーナメントのスポンサー記念カップなどと一緒に並んでいるのだそうだ。

 

 彼らが熱心な宣教師一族の出身であること(これ自体は知っていたが)などについても詳しく書いてあり、長大な伝記ものだが、とても興味深い。私は、おもにスイスでの日本の終戦工作に関してダレスについてあれこれ読んだのだが、そのあたりは、あまり書いてないようだ。

 

そういえば、先日、日光散策みたいなテレビを見ていて、戦前の中禅寺湖畔がほとんど外国大使館村のようであったことを知り、たいそう驚いた。まるでヨーロッパのどこかの湖のように、ヨットレースが催されたり、白い夏のスーツにパナマ帽みたいな紳士、淑女が闊歩している世界。ヨットクラブの古い古いゲストブックにはずらりと外人の名前が並んでいる。

  

明日は天皇誕生日。現天皇もそういえば、日光に疎開していたのだった。占領軍から皇太子を守って山づたいに逃亡させる訓練などもしていたと聞く。

 

今年秋、当時宿泊した施設などを辿る「思い出ツアー」を天皇夫妻は予定していたのだが、日光付近の常総などの大洪水のため、取りやめとなった。今思い出したが、天皇は、まだ若いころ、皇后が体調を崩した時に、確か二人だけで日光に「おこもり」をして、散策などをしていたというフィルムを見たことがある。

 

日光には、たしかに通俗的なイメージを超えたところの、何かがあるという気はする。

箱根よりは適正サイズで散策しやすいのもよい。