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よろづのこと

昨日は朝起きてテレビをつけたら、鹿児島を震源とする地震津波警報。寝起きなのでびっくり。ほぼ時を同じくして、フランスのテロ報道が入って来て、慌ただしい早朝だった。こだわってはいないけれど、前日は13日の金曜日だったので、「何事もなく終わったなあ」と思っていたのだが、欧米はまだ13日だったわけである。

 

テロは言語道断だが、そもそもフランスは革命というテロの発祥の地という歴史的因縁がある。さらにレバノンやシリアでは毎日多数の死者が出ているし、そもそも結果的にISを生んでしまったのは欧米の”有志連合”であるという歴史の皮肉もあって醒めた気持ちの自分。もちろん犠牲になった人々は気の毒だが。

 

映像というのは、刺激的、洗脳的な部分もあるので、最近はラジオを聴いていることが多い。たまたまつけると、けっこう朗読をやっていたりして、面白い。昨日の朝は、漱石の「夢十夜」を途中から聴いた。「夢十夜」は好きな作品だけど、上手な朗読で聞くと、さらに味わいが増す。文字で読むより、「あやし」の感じが深い。

 

昨晩遅くは、ラジオをつけたら、今度は徒然草の朗読をやっていた。最終段だと解説していたが、調べてみると、最終段ではなく、211段だった。「よろづのことはたのむべからず。おろかなるひとは、ふかくものをたのむがゆえに、うらみ、いかることあり。いきおいありとて、たのむべからず…」の、延々「たのむべきでない」ことが続く、あの段である。出だしなどは、まったくそのとおり、耳に痛い。

 

徒然草は誰でも学校で習う、いわば「国民文学」だが、学校時代に面白いと思ったことはない。なんだかじじむさくつまらなかったし、源氏もいろごとばかりで、さほど興味を惹かれなかった。

 

が、自分が相応の年になって、世の中をあれこれ見てきて、たとえば昨晩の段を聴いたりすると、「こころの友」のような、親しさを覚える。いまの私もhermitのようなものだけど…。この家はhermitage?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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