樹間の家

寒くなると言いながら、いっこうにあたらない天気予報に翻弄される日々。まだあたりは暗い6時44分だ。暗い空に暗い樹木の影たちが浮かぶ。

 

かつて住んだN町へのノスタルジーに惹かれてしばらく彷徨っていたが、そのなかにあっても、そうした”気分”はたいてい間違っていることは自分がよく知っていた。

 

過去は過去でしかない。過ぎ去った日々は「物語」にはなるが、現実の時間はとっくに違ったトラックを走っているというのに…。

 

1週間ぐらい前から飲み出したサプリメントが不思議な効き方をして、夕暮れに決まって訪れる憂鬱な気分や落ち込みがなくなったのだった。それは飲んで一日ぐらいたってすぐに。

 

夕方、買い物から帰る途中、子供たちがたくさん遊んでいる広場があって、そこを抜けていくのだが、その先は樹木が多く、なぜだかそのあたりでいつもとても気分が落ち込むのだが、サプリメントを飲んだ翌日、奇妙に晴れやかな気分でそこを抜けている自分を発見した。

 

「何か違う!」

 

それはアスタキサンチンという物質を製品化した錠剤で、どうしても抜けない疲れや眼の疲れのために飲み始めたのだが。個人差はあるのだろうが、私の場合はなにか「脳内物質」にはたらきかけたようだ。

 

落ち込みが少なくなると、後ろ向きの考えが少なくなり、失っていた自信が少しずつ回復しはじめ…というように、良循環にはいっていった。

 

こうしたメランコリーはずっと昔からだから、「性格」だと思っていたのは、単なる脳の物質の問題だったのか…。

 

In the Garden of Beastsという本の邦訳を読んでいる。ヒトラーの興隆時にベルリンに赴任したアメリカ大使の一家の物語。突撃隊のアメリカ人への激しい暴行などが33年ぐらいに既にあったことも驚きだが、同じ33年、トーマス・マンフロイトを焚書にした一方で、平和への貢献宣言や完全非武装化宣言などをおこない、世界を安心させたという「分かりにくい」面があったのだった。

 

友人が獄にいても、太陽は燦々と輝き、ひとびとはカフェで集い、変わらぬ魅力的な日常があった。いたるところ正常なものしか存在しないのだった。懐かしい過去そのままに続いている日々。そこでヒトラーは着々と地歩を固めていた。

 

レオ・シロタの弾くシューベルトを聴きながら。戦時中の軽井沢へと。夕陽の国からは遠くない。