激しい雨と寒さの昨日とはうって変わって、今日は汗ばむほどの気候の秋晴れ。半ば紅葉しかけた木々が秋の陽に映えている。
今日は三年前にあとにした旧宅を訪問。といっても、勝手に入るわけにいかないので、敷地のあたりを散歩しただけだが。
引っ越したあとも一度だけ、事務手続きのために隣の駅に来た際に、ちょっと寄ってみたことはある。その後、大規模再開発がされて、駅前が大きく変わったので、どうなったのか見てみたくもあった。
家のあたりは全然変わっていなかったが、駅前はバスのロータリーやペデストリアンデッキができて、かなり変わって綺麗になった。
住んでいた集合住宅はまったく変わっておらず、なんだか浦島太郎のような気がした。
今、改めて、元の家の土地に立ってみて、そこで営まれている日々の生活や商店の様子を見てみると、売却は合理的行動だが、引越自体は性急な部分もあったのかな…と思ったりもした。
関東圏でも放射能汚染があったことは事実だし、現在も廃棄物等からそれは分かるのではあるが、そのリスクの「程度」のジャッジが正しかったかどうか。
自分の反省としては、政府の発表が「大本営」的であって正確ではないことはある程度言えても、当時のインターネットの言説がかなり誇張されたものであった、そして、それに自分がかなり影響されていたことがある。
また、これは責める意味で言っているのではけっしてないが、お友達が2012年はじめに「何かあったら北国に…」と言ったこともあり、政治的にも首都圏は危険なのではないか、いろんな意味で、地方へ避難すべきなのかな、と思ったこともある。
そうやって、これで二カ所の引越をして、今日は原点に戻ってみて、自分の気持ちが落ち着くのを感じた。
15年暮らし、そして、2011年以降、とくに震災直後の食料がない、輪番停電、頻繁な余震、そのあいだを縫って、レインコートにスカーフ、マスクといった重装備で毎日買い出しに出かけた日々の印象が強烈に甦る。
スーパーの開店を整列して待って、皆がパンの棚に殺到し、数秒でなくなるという、フランス革命のパンの奪い合いさながらの日々であった。
昔住んでいた、この町は、旧宿場町なのでまだまだ昔ながらの個人商店が多く、生活の匂いが色濃い。お祭りや盆踊りといった地域の行事がまだ商店会ベースで残っている町だ。
お友達、がいつか帰ってくるかしら…と思って、一人で暮らしてはいたのだが、鬱蒼たる樹間の家にひきこもりがちで悪夢に悩まされたりしている日々をこれ以上続けていると、精神的にまずいのでは…と思ったり。現実に「着地」するすべが必要なことを感じた。