娯楽小説

昨日から、急に気温が下がり、秋のような気候になった。前日まで暑くて寝苦しい夜が続いたのに、明け方には寒くて、秋用の蒲団を出そうかと薄い毛布の下で震えながら考えたぐらい。台風15号は日本海側に抜けたが、しばらくは影響で大雨に注意とか。

 

終戦報道は少し静かになったが、「鎮魂の月」である8月はまだまだ慰霊の行事が続く。原爆や東京大空襲についての番組は多いが、旧満州へのソ連侵攻については、

比較して報道は少ないと思う。

 

だから、知らないこともまだまだ多い。昨日、長野の中野市というところで、高社郷集団自決の慰霊祭がおこなわれ、若い人も今年は多く参列したというニュースがあった。長野の開拓民が開いた村だが、8月の25日になっても終戦を知らず、ソ連の侵攻に遭って、500人ぐらいが自決したという。

 

また、ソ連侵攻に関しては、しばらく前に「葛根廟」の虐殺というのを知ったが、これはあまりに悲惨なために、生存者が最近まで当時のことを語らなかったために、知られることが少なかったのだという。

 

日本はたしかにアメリカの属国化していて、安保法案をめぐって、ある意味、知識人にも庶民にも反米感情が高まっている昨今だが、とはいえ、私が実際に引揚者から聞いた満州でのソ連兵の暴虐は、野蛮というか野獣に近いものがある。手を汚さないアメリカのやりかたとは違って、動物的な怖さが、下層のロシア兵にはあると思う。

 

そもそも、ソ連の協定破りの侵攻とシベリア抑留については、天皇がそれを認めていたから、戦後賠償がなかったとも言われている。ありそうな話である。辛酸を舐めた開拓民が革命勢力になるのを恐れて、また、ソ連で「洗脳」されたシベリアからの帰還兵を革命勢力として怖れたという説もある。だからの、自決であり、抑留だったのかもしれない。

 

終戦時は日光に疎開していて、側近達が「万が一」に備えて、皇太子脱出の山越えの訓練をしていた、現天皇。一方、開拓民は棄民された。

 

さて、奇しくもというか、Mishimaの「命売ります」という娯楽小説がなんとベストセラー入りしている。普通、物故作家がベストセラーに入るなんてことはまずないということなのだが。

 

亡くなる2年前に日本版の「週間プレイボーイ」(米の雑誌の日本版ではない独自誌)に連載されたもので、厭世観におそわれて自殺したものの、失敗してしまったコピーライターが、自分の命を売るビジネスを始めて、さまざまな冒険をするといった、ブラックユーモア小説の体裁である。

 

しかし、娯楽的な筋立てではあるが、諸処に、Mishimaの死生観みたいなものがほのみえており、生への執着がなくなったように見えながら、命が狙われ出すと慌てる主人公といったように、人間の矛盾する心理が巧く描かれている。

 

しかし、私が最も驚いたのは、この一見娯楽小説に見える体裁のなかに、彼は、日本あるいは自分が当時陥っていた危機、進退極まるといった状況を埋め込んで描写していたのではないかという点だ。

 

何人かの「買い手」、つまり依頼人があらわれるのだが、最初の依頼人は自分を裏切った若い妻への復讐を頼みにくる老人なのだが、その妻の名前は「岸るり子」で、「岸首相の岸ね」という風に老人は説明する。その妻の愛人が「三国人」で、あやしげな日本語でしゃべる男。(今だと「三国人」なんて書いたら、PCにひっかかるだろうが)

 

二番目の依頼は、特殊なカブトムシから抽出した物質が、それを飲んだものを自由に操って自殺させることができる、ということを実験したい男たちと関わる。そのカブトムシについて書いてある図鑑が、警察の手によってどこの図書館からもそのページがちぎられているのも、暗喩だろう。

 

これぐらいならば驚かないのだが、この稀少カブトムシのクスリの件の発注者は、三人組の「外人」、つまり西洋人で、チーフ格はヘンリーというダックスフントを連れた男なのである。

 

そして、最後は、岸るり子の愛人である三国人も、これら「外人」も、老人もすべてグルであることがわかるのだが…。

 

ヘンリーと言えば、Mishimaの伝記を書いて世界的に有名になったジャーナリストを想起する。このS氏は至極親しく、最後に事件をほのめかすような手紙も貰っているわけである。

 

私は、伝記に献辞のあるスイス人投資銀行家が、この伝記の執筆をすすめたということを、Sの講演で聞いてから疑念を持つようになった。というより、Mishimaの生涯そのものが、操作されていたという印象を持っている。そうして、貼付けられた、のちの伝記作家が Sであり、しかも、当時既にMishima自身がそのからくりに気づいていたのでは、と、この小説を読んで思ったのである。

 

自白剤というか、そんなクスリを使った自殺教唆というのは暗喩であろうが、麻薬やクスリもこの小説にはよく登場する。岸に代表される満州官僚は麻薬密売によって、満州国経営をやっていたわけだから。(Mishimaの祖父も一枚噛んでいたわけだが)

 

そして、この外人三人組の首領にヘンリーという名前を与えることは、マイケルでもデヴィッドでもなんでもよいはずなのに、敢えて、親しい友人であるヘンリーの名前を当てたところが、Mishimaの恐ろしさである。ヘンリーは日本語がそんなに読めないし、ましてやプレイボーイなんて読まないはずという計算であろう。

 

S氏の息子ハリー・スギヤマはモデル出身のテレビダレントで、英国王家ともどこかで繋がる名門出身で、有名パブリックスクール出身で、とか、ハーフのタレントが好きな日本のテレビ界で活躍している。

 ところが、この息子、北京大学に留学し、NHKハングル講座で生徒役をやったりしたそうだ。この点にちょっと以前から違和感があったのだが、この小説が解き明かしてくれた。「三国人」との同盟というわけだ。

 

亡霊のようにあらわれたベストセラーにはたいへんな時限爆弾が実は…。