今日は七夕

今日は本当の七夕。新暦の七夕だと、まだ梅雨の頃なので、だいたいが天気がよくなく、天の川は見えない。以前首都圏にいたときも、また移住先でも、はたまた去年、今年も、毎年短冊を書いて笹に結びつけてきたけれど。

 

先月は成田空港で、外国人旅行客などが、揺れる笹に五色の短冊をはしゃぎながら結んでいるのを、ニュースで流していたっけ。

 

Kも例年にない暑さということだったが、帰京してみると、やはり5度ぐらいは暑い。今更のように山国は涼しかったのだなあ、と。とくに朝晩は少しひんやりした空気を感じたけれど、それでも昔は夏でも長袖を着ていたぐらいだったそうだから、今の暑さは異常である。

 

訪れるひともいないだろうから、翁ゆかりの二つの墓まいりをしてきた。案の定、周りは草ぼうぼうで、「Alexei」のお墓のほうは奥なので、花屋でつくってもらった花束を置く場所さえないぐらい。西洋人だから定番の菊ではなく、薔薇がよいだろう、と、赤い薔薇にリンドウや桔梗の花をアレンジして貰った。パニヒダの歌は知らないので、

「常に幸いにして…」「生神女や我ら爾の僕婢は…」を歌い奉る。(淋しい場所なので、タクシーを待たせて行ったのだが、歌が聴こえたかもしれない。)

 

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英国人女性宣教師のお墓の隣なのだが、アングリカン関係の場所は皆綺麗に除草してあるのに、隣のここも併せて草取りをしてくれればよいのに…と、なんだか不満であった。翁の訃報を園より早く知っていたし、院のN師もそのひとのことは聞いたことがないという奇妙なプリースト。翁の家で家捜しをしていたというのも変。会うつもりもないし、会いたくない御仁である。

 

昨日は広島の原爆記念日だったので、テレビは原爆一色。8月にはいると、テレビはすべて戦争特集ばかりである。まるで「季節もの」のようなこの一律具合もおかしなことである。原爆については、最近、結社との関係を書いたアメリカ人の本の翻訳が出て読んだが、本当の目標は長崎だった、という解釈に「なるほど」と思わせられた。

 

二番目の投下なのと、本当は小倉、と言われていたので、なんとはなしに、広島のインパクトのほうが強いのだが、実は本命は長崎という、このD氏の説は説得力があり、

言われてみれば、三菱の造船所とか、長崎の枢要な産業施設が無傷なのはおかしな話。

ただし、キリスト教徒を殲滅するためだった、というこのひとの説はいささか理解しがたく、キリスト教徒なら、世界中どこにでもいるはずだから、説得力を欠く面もある。

 

この著者をネットで調べてみると、ファティマ十字軍の名前があがっているので(書籍のほうには触れてない。一般向けだからだろう)、カトリック右派の、反結社のひとであるというのが、想像がつく。たしかに、彼が言うように、キリスト教と結社が両立しうるというのは最近の考えであって、聖テレーズの自叙伝などでははっきりと、教会の敵と書かれているし、今私がテレビで毎週見ているスペイン内乱時代のドラマなどでも、カトリックのおばさんたちが、「あんたたちなんか、秘密結社に入ってるんでしょ」「うるさい、教会ばばあ」みたいなやりとりがあって、対立の構図は明瞭である。

 

長崎は高度をかなり低くして、目視して投下しているそうで、標的ははっきりと浦上になるようだ。以前、私が聞いた話では、9日は聖母被昇天の祭日のための告解に多くの信者が告解所に詰めかけているときだったので、より惨事が酷かったということだ。

 

昭和天皇をあくまで裁判に引きずり出そうとするソ連やオーストラリアの声を封じるため、マッカーサーに何が影響を及ぼせるだろうかと考え、天皇バチカンと英国のジョージ六世に接触したという論文が、今週の週刊誌に載っていた。すべて、英国の公文書館で調べたものである。

 

これらのプレイヤーが共通して恐れるのが「カクメイ」であるから、タッグを組むのは難しくなかったろうと思うし、戦前からバチカンの重要性に着目していた天皇(同資料による)は、単なる軍部のお飾りであろうはずはない。一族の生命と財産の帰趨が最大関心事の老獪なやり手と私は感じる。

 

そうこうして考えると、現美智子皇后が、昭和天皇にお目もじするという際の写真が、新聞のスクープで流失したことがあって、皇后の母上が「こんなものが出たら、破談になる」とたいそう心配したということをテレビで以前見たことがあるが、その写真というのが奇妙で、結婚式でもないのに、シンプルなウェディングドレスのようなものを着て、白いヴェイルを被っているものである。

 

公会議以前、修道女が最終誓願を立てて、修道服を着る着衣式の前の姿(花嫁風)にそっくりであったので、驚いた。

 

現皇后は信徒であったが、バチカンに取り消してもらって結婚したとかも言われているが、バチカンお得意の「結婚無効」(JFK.Jr等)はあっても、さすがに「洗礼無効」はできないと思うのだ。この装束に、何か象徴的な、いわば「人身御供」みたいな印象を私は持った。

 

自身に自覚があったかどうかはともかく、修道女らによってきわめて西欧的な、最高の教育を受けた女性、が小泉信三とか、もっともっといろいろな人々の手で、差し出された、ということなのではないだろうか。

 

天皇が学生時代にふと漏らした革命への恐怖(ご学友経由で間接にだが聞いた)、美智子皇后も嫁ぐにあたっては、親族会議でその点が問題になったという。

 

日本では革命は絶対に起こらない、と私は思っていたけれど、「ある種の人々」のつくった近代の歴史を知るにつけても、それは「起こされ」「仕掛けられる」のだと思う。

2.26もそうだけど、仕掛人は闇にまぎれていて、蹶起した者たちは利用されただけ、というパターンだ。そうなったら、かしこきあたりは、国外で優雅に暮らすのかもしれない、とか。むしろ同情を得つつなどして。

 

これが真夏が生んだ妄想でなければよいと祈る。