ふたりの翁

この週末は最高に気温が上がるらしく、注意が呼びかけられている。昨日、今年初めて蝉の鳴き声を聴いた。昨日は鶴見翁の訃報を知って、朝からいささかショックだった。

 

95年ぐらいだったか、インタビューで訪ねたのだったが、「まあ、ゆっくりしていきなさい」とそのあと雑談したのがとても楽しかったが、そこでたまたま草津翁が共通の知り合いだということがわかり、氏は「Tを知っているのか!」と驚いたのだった。そして、そもそも病気の診断の通訳を頼まれての軽井沢での出会いや、それから10年ぐらいを経て草津で再会した経緯などを聴いたのだった。

 

草津翁が第二詩集を出版したことを鶴見氏からその時聴き、久々に翁に電話してみたら、「おや、なんで知ってる?どこから聴いた?」みたいに、まだ拗ねているような口調だったが、こちらも敢えて鶴見氏の名前は出したくないので、「風のたよりに…」みたいに言っておいたのだった。

 

3年前、翁の家が草津マザーテレサともいわれる英国人女性宣教師の家だったことをある研究誌に書いたのを送ったところ、「その推定は頷けます。アンナ祖母様のしつらえられた「ギリシャ正教」の祭壇を思い出します」という、病中、夫人代筆の礼状を鶴見翁からいただいた。

 

草津翁が必ず「ギリシャ正教」という言葉を(絶対にロシアと言わず)強調して使ったとは、詩集編者から聴いたことだが、同じく鶴見翁も「ギリシャ正教」という言葉をこの葉書に書いていることは興味深い。

 

鶴見翁は無意識に、あるいは草津翁の影響なのかもしれないが、西欧語であればorthodoxですむところだが、ここはゆずれないところなのだろうと思う。ひとりは膨張主義的国家や政府に対する不信からであり、ひとりは、巨大な宗教組織の弊にノーという意味で、「ギリシャ」をつけているのだと思う。

 

鶴見翁は、人に対して偏見をもたず、上下関係からも自由で、こころの暖かいひとだった。私が翁が天皇に会ったという話しをしたら、「Tは天皇に会ったのか!」としばし感無量の面持ちだった。そのあとでポツリと、「自分は会いたくない」と言った。

 

二人は泉下で再会したら、何を語り合っているだろう。