天網恢々

雨が続き掃除のおじさんがお休みということもあり、猫が原には、派手に灰色のビニールが並ぶようになった。不思議なことだけど、この「スキン」は太陽光の下だと、次第に溶けていくようなのだ。お天気が待ち遠しい。

 

たまたま今読んでいる本がそのテーマなのだけど、今日は、労働争議が活発だった終戦直後、下山国鉄総裁が誘拐拉致されて亡くなった有名な事件の起こった日。

 

GHQの指導での大量の人員整理にまつわる怨恨、つまり「アカ」犯人説から、「アカ」の犯行に見せかけた占領軍側の謀略とか、いろんな説が昔からあり、自殺他殺とも断定されていない、未解決事件。

 

しかし、今読んでいるのは、筆者の祖父が総裁の殺害に関わっていたのではないかということを、たまたま親族の葬儀の席で見た写真などから思うようになったひとの、今回は小説なのだが、以前に出したものは、ノンフィクション形式だった。

 

前回のノンフィクションより、その後寄せられた証言などがあり、考察が深まり、且つ、ノンフィクションでは書けない想定の会話や状況などが事件の全容を掴みやすくしており、また、時代の空気感のようなもの、殺害(いまでは皆そう思っていると思う、

ダミーの総裁を使ってアリバイづくりをした綻びが見えている)当日の風や天気のようなものまで伝わってきて、自分が誘拐現場の日本橋三越地下街にいるかのようだ。

 

今日がその日というのも、なんだか感慨がある。月末から、日比谷の第一生命ビルにあるマッカーサーの執務室が期間限定で一般公開されるなどということもある。一度なかを実際に見てみたいと、思っていたのだった。

 

たしか、昭和天皇が亡くなったときも、このビルの向かいあたりのお堀端に記帳所が設けられた。記帳したかどうかは覚えていないが、私は「その日」、どうしても、「現場」である皇居の姿を実際に見たいと思い。雨の日比谷に行ったのであった。

 

「こころ」のなかで、漱石明治天皇が亡くなった宵に町へ出た主人公が感じた、特異な感覚を活写していて、感心していたこともある。昭和天皇の場合、どうなんだろう、と思ったのであった。

 

雨のそぼ降る暗い日で、対岸のお堀端の高い石垣が濡れて黒々としていたのを覚えている。

 

結論を言えば、下山事件の主犯は、戦後も続く満州人脈がつくった雑誌社などが、鉄道弘済会や交通公社に寄生して、帳簿操作などで巨大な利益を得ているのに気づいた、

汚職摘発に熱心な総裁を、亡き者にしようと、これも満州人脈からなる工作機関(表向きは貿易会社)がおこなったもの、ということだ。そして、実際、あらゆる見地から見て、これが一番妥当な結論だと思う。

 

もちろん、進駐軍やその下部の工作機関(有名なキャノン)も関わっているけれど、彼らの意図は殺害までは目論んでいなかったようだ(それもわからないが)。背景には、占領軍のなかでの、左派と右派の激しい闘争もある。いわゆるG2とGSのバトル。

 

だから、「アカ」は汚名をきせられただけで右翼の犯行だったといえるだろうが、興味深いのは、戦後の労働争議は本当に激しくて、大規模なゼネストや、列車に赤旗を立てて、「人民列車」として走らせた、とか、今ではとても想像がつかない凄さであることだ。

 

また、進駐軍のオフィサーたちが、故国ではたとえば田舎の小さな鉄道の社長だったのが、こちらで鉄道関係の全権を掌握したポジションにつき、豪華な進駐軍御用達列車で地方遊説して歩いているさまなど、戦争や「占領」という特殊状況で、考えられもしなかった権限や仕事をするようになっている、「人生ゲーム」のような変転。

 

札幌行きのヤンキー・リミティッドとか、当時、日本人が殺人的なすし詰めの、しかも、定時運行もしない汽車にのっていたのとは段違いの、「御召し列車」のような、

上等なものが走っていたというのも、面白い。

 

日本の現行の悪弊はすべてやはり満州時代ぐらいから続いているのかな、という感慨をあらたにした。

 

小沢征爾なども、父親が満州で右翼的な活動をしていた、大陸浪人みたいなものだったわけで、私の眼には、胡散臭いところがずっとある。村上春樹との音楽対談を読むと、

とにかく英語ができなかったので、カラヤンバーンスタインに習ったことももっとたくさんあったはずなのだが、何を言っているのかわからなかった、もったいないという話しが多く、私にとっては、そういう人が、どうして伊語や独語のリブレットを読み込む必要があるオペラを振れるのか、不思議である。

 

一度、ある雑誌に、小澤の名声はあるユダヤ系の興行師というか、producerがバックにいるから、と書かれたことがあったが、それ一度きりである。

 

また、小澤夫人だが、彼女の実家のイリイン家は、不動産業をしていたとかいうが、亡命ロシア人がおおむね質素な生活をしていたなか、山手に大きなお屋敷を持っていた、というのはなんなんだろう、と思う。正教徒らしくもあまりないし、あるいはユダヤ系の家系だったのかもしれないと思う。

 

小澤夫人の母親が書いた本があるけれど、某研究会で、あるロシア人がそれを翻訳しているところだとレクチャーをしたが、勇気ある女性が一言ばしっと、「あの本は粉飾が多いと、イリイン氏の二番目の奥さんを訪ねたときに言ってましたよ」と、釘をさした。ただし、夫人母の料理の才能やテーブルセッティングのセンスは素晴らしく、私も一冊古書で持っている。

 

粉飾がいろいろあるという指摘に、飯倉で外人クリニックをひらいていた有名な故医師の仲良しの、「しゅうえつ」というおばさんが彼女を睨んでいた。小澤の娘と親しいのだそうである。このおばさんは本当に人相が悪く、時々、メガネの奥でキラリと鋭い視線が光る。

 

(私はずっとこのしゅうえつおばさんを、どるごわという名前だと思い込んでいた。)

 

小澤はこのあいだ、スイスから、「日本の右傾化、安倍首相の戦争念慮を憂う」みたいなことをインビューで発信していたけど。ルーツを考えると、どうなのかな…。

 

しかし、今読んでいるこの本など、本当に凄く、だから本当に「やばい」本は新聞などで取り上げられないし、アマゾンのレビューもない。皆、私のように密かに読んでいるのだろうなあ。