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過去からの亡霊

こちらでは感じなかったが、朝がた、箱根で何回か有感地震があったようだ。おかしいのは気象庁で、降灰などもかなりあるのに、「噴火ではない」と言っている。地滑りにともなって、裂け目から蒸気様のものが噴出することがあるそうだから、厳密に噴火と地滑りの区別をするのは専門的には(この状態では)、困難らしいが。

 

おそらく、箱根の火山活動が活発化してから、観光業には影響が出ているだろうし、それを少しでも軽減しようとして、警告は控えめなのかもしれない。が、それは経済活動優先で、安全面からいうと、危ういことだ。

 

そういえば、今朝、何か湖の夢を見た記憶がある。夢は全体に赤色をしていた。

 

一昨日、2008年の夏に書いた、カルトについての原稿を一部読みかえしてみた。途中でやめてしまったが、かなり長いもので既に400枚ぐらいはある。

 

カルト宗教といっても、一般論ではなく、私が80年代から90年代にかけて関わった、カトリック教徒(本当にそうだったかは不明)の”グル”について、その出会いと破綻のプロセスである。

 

今読み返してみると、力が入り過ぎていたり、冗長だったりするが、当時集中して記憶を掘り起こして書いたので、今ではすっかり忘れていることもいろいろあって、興味深かった。

 

93年に彼女は亡くなったが、ずいぶん長いあいだ、そのことは思い出したくないことであり、関係者にどこかでバッタリ出逢うことすら、ひそかに恐れていたので、15年ぐらい経ってやっと書き留めることができたのであった。

 

しかし、こうして見ると、やはりいろいろ差し障りもあり、表に出せるものではないだろうが、ともかくも、書いたことには意味があり、2008年当時の自分の決着のつけかたがうかがわれて、興味深かった。今ではまた、違った観点、感情もあると思う。

 

書いておかないと忘れることもある。自分ではすっかり忘れていたが、”グル”は独特の声の持ち主だった。彼女のことは、ネット上でも少しは書かれているが、その声のことは触れられていない。

 

久々に「彼女」のことを思い出したのだが、折しも、箱根山が鳴動しはじめたのは、偶然だが、興味深い。彼女の記憶は、箱根と結びついているからだ。

 

彼女の「声」について、以下に拙稿を引用してみる;

 

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< ハコネ、記憶の草原の果て >

 1988年5月。湖畔のゲストハウスでその「会」は定期的に開かれていた。「星のエネルギー」をいっぱいに受けて。そうでないと、疲れ切った現代人のこころは癒せない、と彼女は書いていた。立ち枯れたススキの野原を抜けた果てにその「ハウス」はあった。

 

ひとびとが三々五々、あちらこちらからやってきた。あるひとは知人から噂を聞いて。また、あるひとは、「彼女」の著作にある、兎を抱いた写真に魅せられて。「かぐや姫」を連想したのだろうか。イギリスで暮らしたことがある彼女らしく、愛兎はブラウニーという名前だった。

 

そういえば、彼女の紡ぎ出す言葉のなかには、「星」も多かったが、「月」がなにより多かった。月の聖書とか月桃とか…。

 

 はじめて「彼女」にあった時、ドイツ浪漫派を思わせる「植物との対話」の著作から、神秘的な外貌を根拠なく期待していた私は拍子抜けした記憶がある。ただ、その声だけは、特別であった。

 

いささか鼻にかかった、甘いと言えば甘い、しかし、切り立てのクチナシを思わせるような、フレッシュな甘美さ。もし人魚の歌を聴くことができるなら、彼女の声こそ、どこか遠い海で人魚が歌っている、その声なのであった。船乗り達を迷わせた、ローレライの妖精や、ギリシャ英雄伝のセイレーンのように。

 

そして、甘く、懐かしいだけでなく、その呼びかけには毅然としたもの、と同時に、無垢なものが不思議な混淆を見せていた。

 

「皆さんのからだもこころも疲れています。許せないひと、許せないできごと、多くのストレスをすべて光のなかに還しましょう…」。」

 

「呼吸がすべてです。呼吸こそは最もシンプルで、最大の秘儀です。<吸って><吐いて><吸って><吐いて>…、このなかにすべてがあるのです。…」

 

「あなたを最も傷つけたひとを許しましょう。そのひとを目の前にイメージして、光の玉で包みましょう。そして、それが天に昇っていくのを見守りましょう。…」。

 

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時間がたって原稿を読み返してみると、ひどいトラウマだったことが、別の角度から見えて来たりする。

 

彼女のおこなったことは、「私にとっては」酷いことだったし、社会規範からもはずれ、常識を逸脱し、当然責めを負うべき点は多々ある。被害者は私だけではない。

 

ただ、ネットで見ると、被害を受けず、浅い短期間の出会いや関わりで、感謝の念を持っているひとたちもいるのである。

 

私はカレン・アームストロングのことを思い出した。カトリックの修道院を出て、今はオクスフォードで宗教学を教えているアームストロングは、Through the narrow gate

という本で、その経緯を書いている。私も読んだが、教会の腐敗堕落等が書かれたかなり激しい本だったかもしれないが、よく覚えていない。

 

ただ、別の、The Spiral Staircaseというのを読んだときに、彼女が上記の本を書いたとき、初稿は怨嗟に満ちたものだったが、編集者が、「でも、それだけでもなかったでしょう」、と、「良い記憶」というのもあるはずだ、とプッシュをして、改稿させたというエピソードがあった。そうしてアームストロングはまた別の視点を加えることができたのだった。

 

事故死とも、また一説には自殺とも言われる”グル”の死であったが、20年以上経った今は、以前のような激しい憎悪や、そこに加わった自分への自己嫌悪とか、もろもろのものから、少し自由になったような気がする。彼女の人間としての至らなさ、嫉妬やもろもろのエモーションやアンバランスさが、破壊的に作用したわけだが、そのことを指弾する気持ちは変わらないが、距離をおけるように、ようやくなった、他人の物語のように、少しは見ることができるようになったということだと思う。

 

forgivenessということは、だからそんな簡単なことではない。が、可能であることも事実である。

 

 

 

 

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