終わりと始まり

ハナミズキの花も終わりに近くなった。欅はますます青青している。バレリーナのプリセツカヤが高齢で亡くなった。踊りは実際に見たことがないけれど、自伝を読んだことがあり、本を大々的に整理したときに手放したのが残念だ。手元にあれば追悼読書をするのに。

 

ただ、覚えているのは、プリセツカヤロバート・ケネディと恋仲というほどではないが、親密な付き合いがあったことで、ロバートがプリセツカヤにずいぶん執心していたようだった。それと、ゴルバチョフ夫人が孫がバレエをやっていることから、ボリショイを牛耳って、プリセツカヤがずいぶん嫌な思いをしたこととかがあった。どこでも権力者のやることは変わらない。

 

自伝で最も印象的だったのは、プリセツカヤが「レヴェランス」、つまり、バレリーナの最後のお辞儀だが、あの優雅なお辞儀のことを重要視していたことで、彼女曰く、それは、絵であれば額縁にあたるもので、それですべてが完璧になるといった類いの、大事なもの、という表現をしていた。

 

ロシアの芸術家の恒として、政府の強い拘束にあったいたことなども沢山書かれていたはずだが、あまり記憶にない。でも、とてもよい本だった。

 

私がバレエを見に行くのが好きなのは、音楽会とは違って、スノッブな雰囲気があまりなく、ダンサーがフェッテとかの大技を「きめる」と、大拍手がわくことで、もちろんアーティスティックな称賛もあるのだけど、サーカスの拍手にも似ているところ。

 

ニコライ二世なども、ずいぶん御前公演で見ていたようだ。結婚前の愛人がバレリーナのクシェシンスカヤであるし。だからというわけでもないけれど、バレエを見ている時、back to the pastの感じにおそわれることもある。自分が帝政時代に入り込むのだ。

 

ニコライ二世といえば、皇帝一家の救出計画とDNA鑑定について書いている女性の本が昨日届いた。ヴァージニア在住だとか。まだ読んでいないが、実際、米露チームの鑑定結果に異議を唱えているのが北里大学の教授。それに、今回また再鑑定の話が露であるから、これからまた何かが出て来るかもしれない。

 

子どもの時に日曜学校で貰ったカードを長いあいだ大切にしていた。それももう四散してしまったけど、該当聖句は私が小学校から持っている聖書にアンダーラインがひいてある。

 

子どもだから、よくは分からなかったが、「獅子が吠える、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言せずにいられよう」というのがあって、強く印象に残っている。アモス書である。

 

目白のカトリック教会時代には、ずいぶんと旧約の勉強をして、なかでも、ホセアやアモスが好きになり、子ども時代のカードのこの言葉に再会したのだった。