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モンテーニュとラ・トゥール

久しぶりに明るくよく晴れた日。ベランダの向こうでは、掲示板にあったように、植栽剪定のための作業がせっせとおこなわれている。枝などが重ねて積んであるのが見える。このあいだ、大々的に草取りをしたあとは、猫達の姿がしばらく見えなくなったが、また戻ってきたようだ。

 

ここは樹木が多いので、しょっちゅう専門の業者が入っており、清掃もよくされているが、人件費もたいへんなものだろうと思う。けれども、これも見方を変えれば、多くの雇用を生んでいるわけで、系列会社に流れているアンフェアさはあるものの、それはそれでよしとしよう。

 

理不尽なことがあまりに多く、隠されていた真実のようなものがボロボロ出て来て、いったい何を信じたらよいかわからなくなることがある今日このごろ。

 

けれども、現実というのはそもそもそういうものなのだ、ということが最近徐々に納得できてきた。長いものに巻かれる必要はないが、徒手空拳で闘うのもまた無意味である。

 

時々、モンテーニュの「エセー」(随想録)をぱらぱら読んでいる。最近はできるだけインターネットを離れて、書籍を読む時間をつくっている。せわしなく書き込まれる「情報」と整理がされていない文章を大量に読むと、文字通り、アタマと心が破壊されてしまうような感じがしているからだ。

 

モンテーニュ宗教戦争の時代を生きた、いわゆるモラリストで、裁判官を引退してから、故郷の城で思索と著述に励んだ。といっても、引退したのは37歳。

 

「正しい側にはなるべくついていくが、できれば火刑だけはごめんこうむりたい」と書いているように、法を守ること等に関して断固たる意思を持っているものの、宗教戦争の動乱の時代のひとらしく、彼が遵守しているのは「穏健」という徳である。

 

彼の名前はミッシェル、大天使ミカエル由来だが、それにひっかけてか、一本の蝋燭を聖ミカエルに、そして、もう一本をその足下のドラゴンにそなえることにも抵抗はない、と書いている。当時は、素朴な古老たちの習俗として、たとえば、聖ステパノの祭りには、ステパノに石を投げて殺した暴行者たちをも、帽子やリボンで飾って、聖者の仲間として蝋燭を献じたのだという。聖ミカエルと竜にも同様に。

 

とはいえ、王公たちの抗争のあいだで調停役をつとめた彼は、本音を隠しながら戦略的に巧くことにあたるといったタイプとは対極であったようで、オープンな態度と誠実さ、私心のなさで、対立する双方から高い信用を得ていた。そして、けっして日和見主義者ではなかった。行間から読み取れるのは、断固たる態度をとる場合を、ケースケースにより、慎重に見極めていることだ。

 

(たとえば、ニコライ二世はまったく反対のタイプで、非常に敏感に家臣の本心や嘘を見抜く力があって、それゆえだからだろうか、それらを一切表情や言葉に出さず、処分だけを突然行うので、周りの不信感を買っていたようだ。こちらは帝王学から来ているのかもしれないが。)

 

ミカエルと竜の話は興味深い。人間の心理面でも、いわゆる「シャドウ」を抑圧すると、

それが却って大きな力で悪さをするということがある。人間も世事万端、世界も、すべて、白黒マーブル模様か、あるいは、グレーなのかもしれない。

 

そして、それは、乱世を生きる智慧のようなものであったのだと思う。

 

乱世と言えば、画家のジョルジュ・ド・ラ・トゥールも、そうした時代を生きた。彼が「再発見」されたのは、20世紀になってからで、長い戦乱の時代に作品は散逸し、今でも、ラトゥールの作品は真贋が分からないものもあるし、戦火のなかに失われたものも多くあったのではないかと思う。

 

他の画家にはあまりそういった思いを抱かないが、私はラトゥールの絵を見ると、彼がどういう気持ちでその時代を生きていたのか、何を考えていたのか、という思いがしきりとあたまをもたげる。非常に身近に感じるのだ。実際、彼の絵は非常に現代的で、数百年の時空を軽々と超えてしまっている印象がある。

 

2005年の西洋美術館での「ラトゥール」展には深い感銘を受けた。今でも、あまりひとのいない、ひっそりとした階下の暗い展示室で、最晩年の、洗礼者ヨハネと子羊のシンプルな画面にじっと見入った記憶が甦る。「こころがこころに語りかける」、彼のこころが私のこころに語りかけたような、そんな時間だった。

 

あのときは、ラトゥールに出会った衝撃としか感じられなかったが、今の日本の姿を重ね合わせると、それは何かの「序曲」のようなもの、そして、なにかのメッセージだったのかなと思ったりもする。政治的混乱と疫病、戦争、内乱の時代。

 

動乱のなかで生きるとはどういうことか、そうした世の中からどう距離をとるか、そして自分は何をするか、あるいは芸術の力、ということを、上野の森で彼は静かに告げていたのかもしれない。