今日は一転して暖かい日和。お昼頃、駅まで出かけたら、大晦日でもないのに、行きつけのパン屋やカフェも、もうお休みになっていた。首都圏はこの時期、人口が減るのでひっそり閑としている。今日もまた不思議な赤紫色の夕焼けが壮大に空を染めていた。

 

今はアンダーソンの家から消えたイコンを追っているアマチュア・ヒストリアンが小説のかたちをとって書いているものを読んでいる。

 

筆者は実は元MI6の職員。個人的な興味からの探求ではあるのだが、あちらこちらで運命的な出会いをする。

 

友人の娘を訪ねたコスタリカで、アマチュア考古学者が発掘した翡翠のフィギュアを彼女から贈られるのだが、その発掘主は、アンダーソンの支持者のドイツの大公であった、とか。

 

アンダーソンがドイツの寒村に忘れていった、とあるボックスを彼女と親しかった老女から託される。中に入っていたカッコー時計、手紙などは瞠目の品々だった…。

 

老女が語るには、このボックスはアメリカに送ったほうがいいのでは、と言っても、支持者であるドイツの大公は、いや、いつか誰かがやってくるから、その人に、と言っていたのだという。どういう当てがあって言っていたというわけでもないとは思うが。

 

フィクション風に書いてあるのでどこまで本当かわからないが、いったい私たちが教わって来た「歴史」とはいったいなんだったんだろう、と思ってしまう。目隠しをしながら歩いていたようなものだ。

 

実際、アンダーソンに会って、認めた親族は、その「眼」があまりにも、皇帝に似ている、と異口同音に言っている。が、彼らにしても、否定派の親族との関係から、「お忍び」でその村を訪ねるのであった。

 

人間も歴史も、一面だけ見ていては、やはり分からないことが多い。また、時を経ることによって、パズルのピースがかたちをなすように、徐々にある図が浮かび上がってくる、ということもある。

 

夕食後は、図書館で借りて来たMasuo Ikedaの詳細な伝記を読んでいた。若い頃の貧乏はいろいろ聴いてはいたけれど、銀座で米兵相手の似顔絵描きをやっていたころ、写実的ではないという理由で、「似顔絵描きの恥」とまで言われて、仲間から迫害されていたのだそうだ。

 

最晩年の日本回帰、とくに、般若心経や仏塔などの陶芸作品にかける情熱に胸をうたれた。窯の炎のなかに立つ仏頭や経文の超越的な美に、宗教的なものを感じていた。

 

2時間ぐらい本の世界に浸っていたが、私の知っている頃の話もあり、「あれはこういうことだったのか…」と今になって思う。通俗的な面しか当時は感じていなかったけれど、人間は毀誉褒貶があって当たり前で、多面的な存在なのだ。

 

気がつくと、すっかり、タイムスリップしてしまっていた。

 

当時、北関東のある市でおこなわれた彼の展覧会のために、当地の新聞に、作品の解説を書いたのだが、彼もいたく気に入ってくれて、周りからももっと書けば、とか言われたのだったが…。顔の版画に「謎」と「目配せ」と「神秘」を見ていた私が、皇女の謎に惹かれるのも、まったく自然ななりゆきなのかもしれない。人間はそう変わらないということだ。

 

 

 

 

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