野菜スープ

今日は今年一番の寒さだそうで、朝から冷え込んだ。夕方からは雨も降り始め、一日中雲がたれこめて暗い空模様。窓から見える色づいた桜の葉に雨がしとしと。

 

夕方、「寒いなあ…」と呟きながら、ふとスープをつくろう、つくっているあいだも、なんだか暖まりそうな感じがしたのだ。週末には冷蔵庫にあるものでカレーをつくろうと思っていたのだが、別にカレーでなくてもよいはず。

 

辰巳芳子先生が言っているようなたいしたスープではない。ただ、暖まりたくてつくったぐらいのもので、ジャガイモとニンジンと紫キャベツを煮込んだ。ブイヨンもドイツ製の野菜ブイヨンがあった。クノールのチキンブイヨンも一個のこっていたが、内容物に食用油脂とあったので、やめた。

 

キャベツの紫のために見かけはなかなかエキゾチックボルシチまがいのスープになった。ちょうど古儀式派の本を読んでいたのでなかなかピッタリではないか。爪の怪我のせいで、手袋をはめて調理するのでちょっと大変である。

 

昨日は、サルサソースのビンのフタがあけられなかったので、トマトペーストに豆板醤をまぜて、替わりにした。それでも結構それらしい味だった。必要はナントカの母。

 

家中が野菜スープのあたたかな匂いでいっぱいになった。

 

あと、鶏肉を焼いたのだが、塩胡椒も飽きて、探してみると、スパイスラックに、山椒の粉があったのでそれをかけたら、なかなか美味しかった。なんだろう、とつらつら見ると、和歌山産と書いてある。うなぎを貰ったときに、それについていたものだったようだ。考えてみると、その頃からもう一年以上経ったのだなあ…と。この山椒の粉も一緒に旅してきたのだ。

 

古儀式派は実は共産党の初期というか、スターリン時代に入るまでは、政権右派として、その背景を持つひとたちが多数要職にいたことは驚きだった。とくに新経済政策時代には、宗教的寛容の雰囲気もあって、古儀式派の多い繊維産業が基幹産業だったから、そのまま時代がすすんでいれば、ソ連はもっと違った国になっていたかも…と思うと、感慨深い。

 

スターリンが古儀式派を粛清し、繊維産業も中央アジアとかに追いやって、重工業化をすすめた。

 

スターリン以降も、グロムイコとかスースロフといった要人も、おそらく古儀式派関連の出自であるらしい。けれど、一切、出自の分かるものは滅却されているそうだ。

 

レーニンの遺骸保存に反対だったのはトロツキーで、「セルギー・ラドネジスキーやセラフィム・サロフスキーのような聖遺物をつくるつもりか」と言ったのだそうだ。

 

共産党のなかで、古儀式派人脈と対立するのは、ユダヤ系の出自のひとたちというのも興味深い。

 

野菜スープをつくっていて、ラスプーチンが魚のスープが大好きだったというのを思い出した。そういえば、私の持っている「ぼうめいロシア料理」というマイナーな本だが、最近新装版が出たそうだ。こういうニーズがあるとは意外だった。新しい解説つきというので、ちょっと見てみたいな。