ラスコル

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きのう、ベランダの下の「猫が原」を見ると、数匹の猫が遊んでいた。例の白足袋の黒猫は首領格らしい。私がベランダから見下ろしていると、あの大胆不敵な顔で、じっといつまでもこちらを見つめていた。不敵な「つらだましい」の猫ちゃん。

 

首領も含めて、他の猫たちも野良だからか、皆、痩せていて小柄である。遠目だけど、毛並みもそんなによくなく、きっと栄養状態があまりよくないのだろう。それでも、この「猫が原」は、考えてみると、一階のベランダからも降りられないし、生け垣で囲ってあって、入り口というのもとくにない。植栽剪定の作業員が入るぐらいなので、彼らにとっては絶好の「解放区」だと思う。うまく見つけたものだ。

 

この猫との視線の合い方は、人間・動物という区分を超えた「対等感」があって、なんだか不思議だ。動物のほうが独立不覊で気概がある。

 

大公園のほうも、紅葉が見頃になってきた。落ち葉を踏みしめて散歩すると、乾いた音が快い。11月になってもこうやってのんびりと陽光の下でそぞろ歩きできることを以前は当たり前と思っていたが、今はとても嬉しい。実際、欧米の暗い冬に比べて、東京の冬は陽光燦々いう先進国では稀な特徴があり、外国人も感激するそうだ。知られざる宝、「東京の冬」。

 

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このあいだ、墓のことを書いたけれど、2012年に草津の詩人について唯一まとめた論文はかなり長いものだが、詩人の名前をタイトルに入れるとネット上で検索されて、誰でも国会図書館とかで読めてしまうので、「家と墓」という超地味なタイトルにわざとした。

 

今になってみると、それがなかなか含蓄があるという気がする。家のほうは、彼のhutが実は有名な女性宣教師の家だったという発見について、墓のほうは神僕アレクセイという墓碑銘は誰のもの、という、こちらも謎解きだったのだが、考えてみると、家と墓とは関係ないように見えるが、墓とはつまり、「死者たちの家」である。

 

興味深いことに、昨日、古儀式派についての本を読んでいたら、政府と教会に常に弾圧されていた彼らだが、司祭派、無司祭派いずれも、モスクワ近郊の墓地が信者集団の拠点になったという歴史的経緯があるという。司祭派はロゴジスコエ墓地、より過激な無司祭派はプレオブラジェンスキー墓地というふうに。ロゴジスコエは昔のモスクワの関所をちょうど超えた外で、「熱狂街道」という街道筋にある。ペストが流行ってたくさんの遺骸のために、当局も「異端者たち」に墓地の提供をせざるを得なかったというわけである。

 

墓地の礼拝堂を中心に人々が住み着き、市場ができ、病院や学校ができ、また、古儀式派は勤勉で識字率が高かったために、繊維産業の企業家を輩出し、労働力も供給されというふうに、経済的に実は帝国を支える大勢力となっていったというのは興味深い。

 

彼らは厳しく弾圧されたために、表に出ない人脈、いわばネットワークを駆使し、自前の家庭印刷所などを持ち、信仰書などを流布していった。それらの膨大なパンフレットの初期のものはまだ印刷ができず、手稿なのだそうである。

 

彼らの地下出版のノウハウ、地下のネットワーキング、合議制などのパターンをそっくりコピーしたのが実はボリシェビキだったというのは、歴史の皮肉でもあるが、古儀式派は伝統主義者ではあるが、国家宗教として官僚機構となった正教会、またロシア帝国に対しては、一貫して反対制的存在であったし、実際、革命家には古儀式派の家庭の出身者も少なくない。

 

ラスコル(古儀式派)はラスカルに語感が似ていて、なんだかおかしい。森のなかだけでなく、町にもいるのだけど。