万聖節

昨晩はハロウィーンナイト。最近は仮装の日として大いに盛り上がりをみせているらしく、近所の子供たちも仮装して集会所に集まっていた。さすがにお菓子をもらいに来るという習慣は伝播していないようだけど。

 

昨日は、図書館で予約しておいたエッセイ集が届いたので少し読んでいると、リスボン地震について書かれたところが出て来たので、西欧世界の変化の実は大きな節目になっているこの地震にかねてより大いに関心を持っていたので、早速読み始めて、ちょっとぎょっとした。

 

なぜなら、1755年11月1日、つまり万聖節当日が地震が起きた日だったからだ。(それをハロウィーンの日に読んでいる自分は…)

 

地震が起こったのは、午前9時40分、市民の多くは市内の聖堂でミサのために集まっていたのだが、地下から雷鳴のような轟音が響き、教会、王宮、住宅、もろもろが三回の地震波によって崩壊、ミサに集まっていた人々は聖堂の下敷きになってほとんどが死傷、市内の建物は「ライ麦畑のように風にしなって」崩壊したのだという。

 

直後から、今度は火の手があがり、火から逃れた人々は港に殺到したが、そこには津波が押し寄せて、彼らの命を奪ったのだという。

 

フランス革命の遠因とも言われ、また、この大災害が西欧の思想地図をも大きく塗り替える要因となったとはよく言われることなのだが、冒頭、そのとき6歳だった少年ゲーテ地震に衝撃を受け、深刻な懐疑をこの地震を契機として持つようになったと書かれていた。

 

聡明で慈悲深いと思われていた神が、善人と悪人を同じく破滅に陥れたことで、天地創造の無謬性の神話が一気に崩壊したわけである。

 

この大災害を契機に、哲学論争が激しくなって、世界観の変化が起こったわけだが、私が今回知って興味深かったのは、生き残った人々が仮設住宅を建て始めて、なんとか生活を再建しようとしたころ、イエズス会士を中心にした狂信的な司祭たちがそれを妨害したことである。

 

地震は神のくだした天罰なので、ここで悔い改めて信仰生活にはげまなければ、もっと恐ろしい災厄が起こると脅迫的な説教で民衆をくどいたため、復興作業が遅れ、信仰深いとして知られたリスボン市民たちが怒って、これら司祭たちを牢に押し込めたのだという。司祭を市民が投獄するという前代未聞の出来事だった。

 

それともうひとつ、時のポルトガル宰相が、市内の各地に伝令を発して、地震の衝撃の時刻や持続時間を詳しく報告させたのだという。地震に震度的なスケールを持ち込んだ初めてのこころみで、近代地震学の基礎とも言われているとか。

 

ここから「近代」が始まったのかもしれない、と感じさせる、悲劇だけれど、転回点ではないかということを強く感じた。

 

それにしても、ハロウィーンケルトの新年の大晦日に当たるわけで、地獄の釜のフタが開くからいろんなお化けが出て来ると言われるが、大地震もそれだったのか…。

 

しかし、正教会暦を見てみると、1日はall saintsとかの日ではまったくなく、クロンシュタットのイオアン神父の記憶日だった。前日はエヴァンゲリスト、ルカの日。やはり万聖節は西欧のものなのだと納得。ところで、駿河台では、今年から天軍会衆祭(こう言うことを初めて知ったが)を晩禱も含め奉事することになったとか。 (この日のScriptureの読みを見ていて、何かと思ったら、Judgesというのは師士記のことだった…。)