亡霊

台風は沖縄を通過しているらしいが、こちらは寒くなっている。昨日も一昨日も暑いぐらいの夏のような日だったが、一転して、ひどく肌寒い。セーターが恋しい。セーターと読書にふさわしい季節が到来した。

 

古書店に注文した、エドワード・ラジンスキーのスターリン伝「赤いツァーリ」上下巻が昨日届いた。今は絶版になるのが早いので、ネットがなかったら、本当に古書探しが大変だ。

 

ラジンスキーは、ラスプーチンについて何冊か本を読んだなかで、出色の出来、かつ面白さだったので、購入したものだ。資料が細かいのだが、普通は資料の海に溺れて全体がわかりにくくなるのが詳細評伝のまずいところなのだが、このひとはもともと劇作家なので、構成がドラマチックで迫力がある。これは彼のライフワークのようだ。

 

ぱらぱらとチェックして、下巻の最後を読んで、驚愕した。

実際、フェードトフの予言というのは、以前とはまったく違う、教会の露人たちの宗教的狂熱みたいなものを私は肌で感じるので、本当に当たっていると感じる。

 

以下、引用。

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40年余り、スターリンは、彼のテロの恐怖を経験した犠牲者たちが死に絶え、その息子たちが老いるのを地下で待っていた…。そして、今、国中が大健忘症にかかった時に、主人は墓の中から起ち上がったのである。

人々は行進し(注*)、その上に彼の肖像が躍った。ところどころに意味ありげなスローガン。「用心せよ、ユダヤ人、まもなくスターリンがもどるぞ!」

 

ロシアの宗教学者ゲオルギー・フェードトフが1920年代の末に、『民族の懺悔について』という論文で、恐怖におののきながら予告した。「今日…神のいないレーニンのインターナショナルの建設に向けられている憎悪の熱狂が、民族主義と正教のロシアの建設に向けられる時が来るであろう…。今日は富農とブルジョアを殺した手が、ユダヤ人と異民族を殺すであろう。そして黒い人間の魂はそのまま残る、いやもっともっと黒く汚れるであろう」

 

デモ行進には法衣の聖職者たちも参加し、やはりスターリンの肖像を掲げていた。

聖なるルーシは悪魔の肖像のもとによみがえりを準備していた。

しかしフェードトフの論文にはひとつの警句があった。

「そして悪魔が小躍りしながら、おまえを嘲り笑うであろう、おまえはキリストに招かれたのだと」

そう、彼らはもう彼の帝国昨日の血なまぐさいバビロンを再建する準備をしていた。

果たしてまた苦しみと血が来るのか、またこの不幸な国であの聖書の言葉をかみしめることになるのか。

 

「禍害なるかな、禍害なるかな、大いなる都、堅固なる都バビロンよ」(黙示録18.10)

 

「われは始なり  われは終わりなり  われの外に神あることなし」(イザヤ書44.6)

 

デモ行進;1995年の、独ファシストに対する戦勝50年記念祭の行進。エリツィン大統領主催、クリントン、メイジャーなど欧米首脳参席のもの。