回廊

金木犀を愛した縁ある作家のこんな文章を著作巻末に見つけた。

 

「生きているということは、怖い絵ばかり陳列した美術館の中で迷子になっているようなものだ。他に人っこ一人いない回廊を手探りでさまよううちに、同じ絵に何度も出くわして、何度も怖い思いをする。どこまで行っても、一つところの堂々巡りである。どこからどう迷いこんだものなのか、いまとなってはわからない。多分、生まれたことが入り口で、出口を見つけたと思ったときは死ぬときなのだ。

 

だから、この世に<怖い絵>というものは、ない。絵を怖がり、怖いくせにいつの間にかそれを蒐集してしまっている自分こそが怖いのだ。」

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なるほど〜。そこで私はこう考えた。

恐怖や不安というものに実体があるのではなく、それはこころの投影であるわけだから、その意味では、こころの回廊にどんな絵を掛けるかは各自の「選択」の問題になるのではないだろうか。つまり、掛け替えが可能なのに、自分が掛けた絵の囚人に、しばしば人間はなっているのかもしれないな、と。

 

 

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