黄金の百合

台風が来ているというわりには、晴れ渡った日。昨日もよく晴れて、陽射しはまだ夏の名残りを感じさせた暑い日だった。

  

かねてより気になったいた、「イヴ・サンローラン」の伝記映画を昨日見た。似たタイトルのドキュメンタリーは以前に見たのだが、こちらのほうは、俳優がやっているもの。サンローランの内面世界がよく分かるし、”ホンモノではない”俳優が伝えるもののほうが実はリアリティがあるという面はある。

 

サンローランが若干21歳でディオールのデザイナーに抜擢され、その後、アルジェリア戦争の兵役で神経衰弱になり入院、ディオールから解雇された経緯なども、最初にかなり細かく触れている。ディオールから解雇されなければ、自分でブランドを立ち上げることもなかったろうし、そのあたりは「運命」を感じさせるところだ。

 

それでも、パートナーのピエール・ベルジェと出会わなかったら、特別繊細で、ビジネスのセンスがあるとは思えないサンローランがブランドを確立することなんてとてもできないし、そこもまた運命を感じさせるところだ。精神病院へ入院したということで投資資金が集まらないが、逆にディオールを不当解雇で訴えて、賠償金をブランドの原資にしたのはなんといってもベルジェの功績だ。

 

ベルジェあってのサンローランということは前から感じていたことだったけれど、二人の愛情関係も、サンローランの躁鬱病や不安定な性格ゆえに、ずいぶんと危機をはらんだものだったというのが、この映画でわかったことだ。ベルジェの保護、支えが反面、自由を求めるサンローランにとって足枷になるという、コインの裏表もよく描けていた。

 

普通だったらやっていけないような彼の乱行や暴言を乗越えられたのは、多分、愛情というのもあるだろうけれど、ベルジェは心底、サンローランの才能に惚れ込んでいたのだと思う。実際、彼はある種の天才だったなあと思う。モードの世界を超えていたというか。

 

私にとっては、やはり、ショーの部分が一番楽しく、感動的なシーンだったし、彼のインスピレーションの源泉とか、もうちょっとモードの話があってもよかったのにという気はする。交友関係や愛憎関係が前面に出過ぎていたが、それはそれで、「影」を描きたいという意図なのだろう。

 

最後は76年のショーのシーンで終わるのだが、オートクチュールのショーの定番、最後には必ずウェディングドレスが出されるが、このショーのはとても珍しいスタイルで、

魅せられた。黄金の金属でできた大きな花冠を被った花嫁の、ちょっとお伽噺風のドレスにも金色のブレードがあり、ベールの下の花束は、はっきりは分からないが、これも黄金の百合の花束のように見えた。これを、西洋人なのだが、ちょっと東洋的な風貌のモデルが着ていた。オペラ「ワリー」のアリアの絶唱がかぶせられて、「The End」。「断ち切り」のような、すばやい暗転画面が印象的だった。

 

(このサイトhttp://ciatr.jp/topics/7275 の下部に「黄金の百合」の写真あり)