水害

広島の土石流被害は酷いものだが、今も、関西や北海道などで大雨警報や避難勧告が出ていたりする。ここは被害はないものの、いったい日本中どうなっているのだろう。今日も夕方、県北部で震度4の地震があって、私のiPad地震警報を鳴らしたものだから慌てて玄関ドアへと走り、出口確保とかしたのだが、ここは本当に地盤が安定しているらしく、揺れもしなかった。むしろ警報で心臓を悪くしたぐらいだ。

 

そういえば、札幌にいた最後の冬の終わりの頃だったか、よく洪水の夢を見た。豊平川かと思ったのだが、本州のことだったのか。あるいは、豊平川も氾濫しないわけでもないから…。

 

関東域の航空管制塔があるぐらいだから、ここは災害には強い地勢なのだと思う。基地があった(今でも米軍のレーダー基地がある)ぐらいだから、いろんな意味で好条件なのだろう。それがあったから、ここを選んだわけだが。

 

ハイドパークみたいな大公園は米軍に接収される前は、陸軍の航空学校があって、今でも少年航空兵の像がひっそりとある。

 

伯父のひとり(母の兄)は、旧制中学のときに志願して航空兵となって、ここで訓練を受けた。そして、大陸で戦病死した。17、8歳だった。今となっては、中国のどこで亡くなったのかもわからない。

 

離日する前、祖母が田舎から上京して、伯父におはぎをつくって持参して、ここに面会に来たが、規則で会うことはかなわず、上官が、遠くからお互いに見ることだけはできるように、計らってくれたのだと言う。言葉をかわすことはできず、制服のベルトの金属のバックルが太陽光線に光った、それが祖母が息子を見た最後だったと言う。

 

横浜を出て、転々としたわけだったが、まがりなりにもここで安全に生きていられるのも、ひょっとしたら、会ったことのない伯父が守っていてくれるのかもしれない。