カヴァティーナ

昨日も今日も、そしていつも、とにかく暑い。今日は隣の駅の美容院へ行って、思い切ってかなり襟足を切ってもらって涼しくなった。といっても、涼しくなればまた少し伸ばせるようにはしてある。

 

ちょうどお昼だったので、唯一あるホテル(といってもそんなに大きくない)の中華料理店でランチを食べた。この四川料理店の麻婆豆腐はとても美味しいのである。他のメニューも美味しいのだが、大好きな酸辣湯麺だけは、ちょっと物足りない味だけれど。

 

ずっと鬱気味でとくに夕方になると、お酒を飲まないと食欲が全然出ないので、これではまずいと思っていたのだが、美味しいものだったらば、食べられるわけなのだから、自分のつくるものだから体調が悪いと食べられないということなのだろう。

 

このホテルにはもうひとつ、蕎麦屋というか居酒屋のようなお店があって、宿泊者はそこで朝食をとるのだが、これもとても美味しく、自家製のぬか漬けなどもあり、五穀のおにぎりがあったり、お粥もその日によって内容が変わる。TのPホテルといっても、このあたりの人しか知らないだろうけれど…。あなどれない田舎都市T。

 

鬱だというのならと、自分なりに「音楽療法」をちょっと考えてみた。肩の凝らない、綺麗な音楽を少しBGM的に聴いてみるという考え。何がいいかなと思い、リチャード・クレイダーマンのCDを買った。

 

クレイダーマンは感じのよい風貌に好感を持っているものの、わざわざCDを買って聴く程ではなかったわけだが、改めて聴いてみると、本当に綺麗な曲が多い。また、一見、練習曲風なものもあるので、ピアノの生徒たちに使われるというのも、頷ける。私の子ども時代に、クレイダーマンみたいな曲を弾かせてくれる先生がいたらよかっただろうに…。(ベートーベンの「悲愴」などを弾かされたが、こんな曲を弾かせるほうもどうかと思う)

 

自分の好みとしては、「午後の旅立ち」や「秋のささやき」といった短調系の曲が好きだが、もちろん、華やかで明るい曲も、クレイダーマンが弾くと、流麗でも軽薄にはならず、透明な明るさがあって、よい。よくよく考えてみると、イージーリスニング風の曲をイージーでなく弾く(曲想とかという意味で)というのはかなりの難題ではないだろうか。文は人なり、ではないけれど、演奏者の人柄みたいなものも見えてしまう、怖さがある。

 

たとえはおかしいが、モーツァルトを弾くのが難しいのと同じと言えるかもしれない。

 

映画「ディア・ハンター」の、あの有名な、カヴァティーナも「小さなピアノの詩」というタイトルで、CDに入っていた。この曲も、久しく耳にすることはなかったが、本当に、淡彩画のような美しさだ。

 

(そういえば、「ディア・ハンター」も最近、デジタルリマスター版のニュープリントが出たのじゃなかっただろうか。出演者の某俳優が、ナタリー・ウッドの溺死に関わっていた云々を思い出した…)

 

今では、映画より「カヴァティーナ」のほうが知られているかもしれない。

 

現皇太子に捧げられた曲もあって、プリンス・オブ・ザ・ライジングサンというのだが、イントロが中国風で、やっぱり外国人には中国と日本の音楽の区別がついていないのだなあということがよく分かる。なぜか、皇室関係の番組にクレイダーマンの音楽がよく使われるのだそうだ。さすがに、この曲だけはイマイチ過ぎて、あまり聴かれていないのではないか…。