ミス・リー

一昨日のニュースで群馬県のK町で午後、雹が降って、そのあと1時間あたり80ミリという記録的な大雨、現在も土砂災害警報が出ていると、町の様子が映っていた。

 

最近は何かとニュースになる町。先日も、療養所にかつて反抗的な患者を留置する監房があって、それはもうずっと前に壊されてしまったのだが(負の遺産なので)、それを再現した記念館ができたというので、ニュースになっていた。

 

「睡蓮舎」の住人は全然そういった世界と隔絶した、自分だけの世界で生きていたのかもしれないな…と思う。彼から聞いたこともない。

 

そのコテージの本来の主だった女性宣教師、K町のマザーテレサと今では言われている人、は上流階級の女性らしく、水彩画も堪能で、故国では小説家として、かなりの数の作品を書いていて、ミニ・ジェイン・オースティンみたいな存在だったようだ。

 

そんな彼女が、来日して救癩をはじめ、教育やら宣教やらといったミッションの事業を始めたのは、ひとえに信仰心のゆえと今までは思われていたし、町の顕彰会のひとなども思っていたのだろうが、昨年、北国の図書館でたまたま出会った、この女史についての英文学の研究者の著作を読んで眼からウロコが落ちた。

 

もちろん、宣教の強い意志があって来日したことは事実だと思う。でも、それだけではなかったとも考えられる。

 

その最新の伝記によると、兄は海軍の軍人だったのだが、少年へのワイセツ行為で逮捕され、裁判にかかったのであった。そして、服役が終わった後、オーストラリアへ単身渡り、どこかの港町で病死した。

 

 兄の一件で英国での自分の将来に、女史がある種見切りをつけた、というより、作家という職業にしても、社交界でのつきあいにしても困難を感じただろうことは想像に難くない。

 

その兄だが、裁判では、事件のしばらく前に頭を打って、記憶がまったくない時期であるという主張をしたのだが、全然聞き入れてもらえなかったようだ。ひき起したことが、今とは格段にスキャンダラスだった時代なので、本人の訴えも無視されてしまったのかもしれない。

 

「光の家」はひょっとしてそんな兄の記憶もどこかに留めていたかもしれない。羽目板、腰板の一枚にでも。女史がその家で兄を思い出すこともあったろうから。

 

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