鍵がカギ

夜中に、怖い夢で眼が覚めた。

 

恐ろしい暴漢がガラスを破って、ベランダから侵入してくるというもの。私はガラスの破片で必死に防戦するのだけれど、相手は凄い形相で迫ってくる。

 

真夜中の二時半。こんな時間にこんな夢で目覚めると、本当に恐ろしい。しかし冷静にアタマのなかを探ってみると、脳裏をよぎったのは、昨日入っていた一枚のチラシ。今の鍵は簡単にあいてしまうのでピッキングによる押し込み強盗よけに、鍵をつけかえたほうがいいという、鍵屋の広告なのであった。

 

それを見ていたのと、ここは夜になると本当に公園のなかのように物音がしない、森閑としたところだし、ご近所といっても、ひきこもりがちの老夫婦以外は、深夜帰宅などのひとが多いのか、顔を合わせることもないので、「何かあったときどうしたらいいか」という、ひとりで暮らしている不安が潜在的にあったためではないかと思われる。

 

それが、夢の暴漢につながったのでは、と思い、ある意味ほっとして、眠りについた。

 

というのは、私の夢は悪夢というか怖いものが多いのだが、それを警告ととるか、自分のなかの無意識の恐怖のあらわれととるかが、判断が難しいところでいつも悩んでいたのだったから。

 

鍵のチラシ→暴漢の押し込み、ならわかりやすい。

 

もちろん、気をつけることにこしたことはないが、過剰な心配もまた、放射能ではないが、日常生活を歪ませてしまうので、この深夜の悪夢はいいサンプルを貰ったことでもあった。

 

私は網膜剥離ではないけれど、強度近視のために硝子体が網膜をひっぱっており、右目も左目もピンホールのような穴があいて(と言われて)、レーザー手術をしたことがあった。

 

そのお医者さんは、非常に厳しく眼の健康を管理するひとで、それを見つけてくれたし、三ヶ月に一度は眼底検査を皆受ける。いいお医者さんが見つかったものだと思っていたが、その後北国でかかった都合三人の医者や、こちらで先日かかった眼科医も、正直言って手術痕もひとつだけしか見当たらないし、そこまでするような状況だったのか、過剰医療(とまでは言わなかったが)めいたコメントをした。

 

最初の医者への信頼があり過ぎたので、その後の医者はいい加減なのかと思っていたが、どの医者もどの医者もそういうということは、平均的な見解なのだろう。

 

まあ、眼のピンホール(があったとすれば)塞いだほうがいいわけだが、良心的と見えていたそのお医者さんも案外、経済的な事情で過剰診療をしていたかもしれないし(弱視者のための社会活動等にも熱心だったし、あまり金儲け主義には見えなかったのだが、それとこれとは別かもしれない)、あるいは、本人の信念だったのかもしれないが、やり過ぎだったということもありえる。

 

そのことがあるので、自分も過剰に眼の疾患に神経質になって行動が及び腰になってしまっていた。眼病よりある意味恐ろしいのは、「恐怖に支配されてしまう」ことかもしれない。

 

こんな新緑の美しい季節に、世界の半分の断面である(しかない)「怖いこと」にフォーカスしてしまっているのは実にもったいないかも。