月と花と

引越屋が寒冷時には輸送できないと言った胡蝶蘭の葉っぱだけのものを、別便で郵便で送ったのだが、元気に到着した。郵便の箱には「園芸用品等」と書いて。

 

ただし、今年はまだ花はない。5年もしっかり咲いていた。北国への引越は一昨年の9月だったのだが、引越の3日ほど前も綺麗に咲いていたので、「引越で花はもつかしら…」と独り言を言っていたら、翌日花達は花弁を閉じていた。

 

まるで、人間のこころを読んでいるよう…。

 

ようやくだいたい荷物が納まり、家らしくなってきたが、整理をしていたら、蕪村の俳句の新聞記事が出て来た。

 

有名な句ということだ。

 

  蘭夕狐のくれし奇楠(きゃら)を焚く

      (「焚く」は実際は「火」偏に「主」と書く)

 

蘭の咲く夕べ、狐のくれた伽羅を焚こう、というのが一般的な解釈らしいが、異説として、「蘭はこの夕べ、狐からもらった伽羅を焚くことだろう」というのもあるという。

 

蘭が香を焚くというのも洒落ているが、どちらにしても、絵画的というか、蕪村らしい、ファンタジックで妖しい雰囲気のある魅力的な句である。幻想的で童話的でもある。

 

狐がくれる香木かあ…。

 

引越の荷物のなかで、インセンスや線香を入れたボックスを探していた午後だった。めでたく、「狐の贈り物」は見つかった。

 

引越をすると、忘れていたいろんなものが出てくる。Samuel Palmerの小さなリーフレット(でも、充実したもの)。Palmerは幻想的な田園詩風の画風で、大好きな画家だが、日本ではまず見る機会がないし、オックスフォードの美術館にいさんで行った時、折悪しく、貸し出し中だった。

 

そういえば、Palmerの絵も、Evening Churchのように月下の一群みたいなものが多いことを思い出す。

 

 武州の月でも眺めながら、今晩は香を焚こうかしら…。

 

終日片付けで暮れた先週のある日、夜になってカーテンから外を覗くと、ベランダの前の八重桜、その先にある欅の梢の上に、満月がのぼっていた。のぼってからまだそんなに時が経っていないのに、乳白色の優しい色をしている。

 

  乳色の 満月 武州の野を照らす

 

昼間はあでやかに咲いている八重桜も、夜は朦朧とした影のようで、それはそれで淡彩めいていて、月によく似合っている。

 

その日は転入届を近所の市役所に出しに行ったが、エントランスのあたりにぐるっと竹が植えられていて、ちょっとした竹林の風情の演出。

 

即日で、健康保険証が貰えたので驚いた。後日、郵送が普通なのだけれど。なぜか医療関係の相談をしているひとが多かった。首都圏にもどってくると、やはりお役所のひともてきぱきとしている。私が行った時間にはもう閉まっていたけれど、8階には展望レストラン(というか食堂)があり、このあたりの特産の里芋を使ったコロッケが人気メニューだとか。

 

役所も図書館も郵便局も警察(これには用がないほうがよいけれど)も歩いて10分かからない距離。欅並木の反対側には大病院がある。

 

昨日は、隣の市にある家人が入っている高齢者住宅を訪ねた。食事が美味しいとかで何より。周りが老人ばかりで気が滅入るというので、自分も老人だということを忘れないように、と。

 

昨晩は久々に、ゆっくり音楽を聴いたり、画集をめくったりした。そういえば、復活祭だったなあ、と、お菓子作りの本の綺麗なパスハの写真を眺めて、おしまい。