ミミズのつぶやき その3

三陸鉄道が震災後3年経って、復旧したとの、ニュースがテレビを賑わせている。おかしなことだけど、今、「ニュース」と文字を打ったのがタイプミスして「ヌース」と表示された。「ヌース」だと「精神」や「理性」を意味するギリシャ語の哲学用語となり、関係ないようで、示唆的であって、面白い。(フロイトユングの理論によると、うっかりした言い間違いも、実は深層心理の反映という面がある)。

 

何事も、「理性」が必要だ、という話。

 

昨年のテレビの朝ドラマ「あまちゃん」が異様な盛り上がりを見せていたので、その舞台での重要な役回りの三陸鉄道にも、大変なスポットライトが、放送時も、それ以降も当たっていた。

 

私はドラマへの異様な熱狂と、ちょっとダサい設定とか、劇団系の役者のアクの強い演技への閉口も相俟って、ほとんど見ていなかったが、こうやって、3年振りに、三陸の海沿いにたった一両のローカル線が走る姿を映像で見て、感動を禁じることができなかった。

 

もちろん、いろんな問題はまだまだ山積しているだろうけれど、この鉄道を通勤通学に使っていたひとにとっての「足」が回復されただけでなく、鉄道が走る、こと自体、その地域で暮らしている人々にとって、「もとの生活」に近づいた象徴となるのだと思う。

 

決まった時間に通る列車の姿だけでも、それを見るお年寄りや、野良や港にいるひとたちに、どれだけ力を与えることだろうか。列車の向こうの海はあくまでも青く、春の陽射しの下に優しく輝いていた。

 

またテレビでは、福島、田村市都路地区の除染が完了して、避難指定が解除されたので、帰還が始まって、4月には小学校もまた開校することになって新入生も迎えたという話題をやっていた。3年という避難の年月は長く、帰還しないひともかなり多いようだ。避難地での生活が既にできてしまっていることもあるだろうし、戻ると、補償がなくなるという金銭的な問題も少なからずあるだろう。

 

またもちろんだが、なんと言っても放射能問題も大きく、除染は表土をはぐだけだから、子供のいる家庭が帰還するには、それなりの決心がいるだろうと思う。

 

しかし、厳密に事実を見て行くと、都路地区の避難はいわば過剰避難であって、福島市内にはもっと線量が高いのに、強制避難区域に指定されていないところがあったりするという。経済活動を担うところからは、人を動かしたくない(税収が減る)という行政の判断もあるのだろうが(実際、県庁所在地を放棄しないというのは、首都を維持すること同様、経済活動や安全保障上重要だと思う)、それだったら、それより低線量の都路からどうして人々を移動させて、生活やコミュニティを破壊したのか、その罪は大きいと思う。都路のひとたちが移動した仮設住宅は、たった(といってはなんだが)元の地区から20キロメートルしか離れていないところなのだ。

 

帰還した、小学生ぐらいの子供がいる母親がテレビで話していたが、仮設の狭い住宅では子供のストレスも大きく、住み慣れた家へ戻って来て、家や庭で遊ぶのを見てほっとした、と言いつつ、子供は外遊びが多いので、放射能問題は心配だと言っていた。

 

こうしたディレンマを抱えて暮らすひとびとの話を見聞きするにつけても、東京圏ぐらいでも危険だ(実際危険はあるし、低線量被曝についてはまだ分からないことも多くはあるのだが)ということをことさら言い立てるひとたちの心性は理解しづらい。

 

私もかなりの部分、そうした流れに煽られて移住した部分もあるので、その反省を込めて言っている。彼らにしても、内的なディレンマがあるはずで、そうした矛盾をそのまま表現していれば誠実なのだが、自分の不安を払拭する(のが一番の動機だと思う)ために、ひたすら他人を説得して、「逃げろ」とばかりの大合唱。

 

もし、自分の判断に自信があったなら、そんなに他人を説得する必要もないではないか。(彼らが死んだり、健康を損なわないために言っているのだというけれど…。それは詭弁じゃないかな)

 

いわゆる、「重い荷物を持った肩は上がる」の典型で、彼らの「説得言説」は「こころの補償作用」的なものが大きいのではないだろうか。そういう自分の意図に冷静な目を向けること、そして、彼らの冷静さを欠いたプロパガンダが、他人の人生を狂わせる可能性もある(とは言っても、最終的には判断した側の責任だが)という自覚が必要だと思う。

 

その意味で、匿名で、誰もが自由に意見を書けるネット社会の弊害というのは、利点を凌ぐ大きさがあり、判断を狂わせる危険も大きい。メジャーなメディアが腐敗しているのはたしかだが、だから、マイナーメディアや、個人のブログツィートなどはミスリードをすることはないと考えるのは、危うい。

 

今、コンスピラシーセオリーあたりでは、4.11にまた何かがあると盛んに言われているが(11がマジックナンバーらしい。実際、テロや震災が多いが)「だから」というわけでもないが、私の首都圏への帰還は、4.11になっている(これは単に運送会社のアキの問題なのだが)。一瞬、こころは乱れ(不安)により、ローソクの炎のようにゆらめいたが、ここは「ヌース」の力をあくまでも信じよう。「怖れ」を破るには、「行動療法」が一番である。