田園の夢想

しばらく前だが、婦人雑誌「ミセス」の11月号でウィリアム・モリスの特集が載っているので、買いにいったら、なんと、売り切れだった。2、3日で再入荷するのを待って購入した。

 「ミセス」は、一部熱心な読者がいても、売り切れなどということはあまりない雑誌なのだが、モリス特集とタイアップして、モリスのテキスタイルの生地(68.5×48cm)が付録としてついているからのようだ。インテリア用の厚地のファブリックなので、手芸などに使えるからだと思う。

 パターンとしては、Strawberry thief, Love is enoughとか有名なものばかり4種類。だから、いろいろ欲しくて複数册買うひともいたかもしれない。

 モリスは既に有名だし、展覧会も多いし、カーテンやハンカチにすら使われているので今更と思うのだが、ファブリックの人気は高いのだなあと改めて思った。

 さて、モリスの卓越したところは、テキスタイルデザイナーとしての稀有な才能だけでなく、「商会」をつくって、周辺の芸術家たちを組織して、製品化する「商才」というか、プロデューサー能力に優れていたところだ。

 父親は裕福なシェリー商人だったというから、その才能を受け継いでいるのかもしれない。

 モリスのようなもともとの金持ち有産階級とは出自がちょっと違うが、婦人服とインテリア・ファブリック産業を世界を展開している、「ローラ・アシュレイ」も似たところがある。

 今年は、ローラ・アシュレイ創立60周年ということで、10月にはショップで「Laula Ashley 1953-2013」という、小さい記念誌をもらった。

 モノクロの表紙には、ロング丈のクラシックなワンピースを着た女性がクッションに囲まれていて、「unique, distinctive, innovative」と小さく書いてある。

 これによると、ブランドの始まりは、ローラが、ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムで、全英婦人協会主催の伝統工芸の展覧会を見て、自分でもパッチワークキルトをつくりたいと思ったことから。好みの生地を既存の店で見つけることができなかった彼女は、夫と一緒に自分で生地をつくろうと考えた。

 10ポンドをはたいて、スクリーン用の木材、染料、リネンを買い、プリントの方法を図書館で調べて、生地をつくったのだそうだ。

 彼らが広く知られるようになったのは、54年に創ったスカーフからという。当時「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーン風のスカーフを結ぶスタイルが流行し、ローラは自分たちもスカーフをと考えた。そして、当時夫妻が住んでいた、ロンドンの小さなアパートの「限られたスペース」を、モチーフにして創ったスカーフが大ヒット。

 これが今年復刻されて、日本でも売られて、私も最近入手した。いわゆる花柄の生地ではなく、細胞のような幾何学柄(といっても、フリーハンドで描いた緩さがある)パターンで、柄で見ると、「なあんだ」と思うような平凡なものなのだが、着用しているモデルの写真を見ると、「独自さ」が光っている。

 これが、キッチンテーブルで、二人がプリント作業から縁縫いまで手がけた、”伝説的”なスカーフなのであった。

 その後、世界的ブランドへの躍進の道が開いていったわけだが、興味深いのは、彼らはロンドンから世界展開していったのではなく、1960年にローラの故郷ウェールズに本拠を移し、自宅の一階に小さな店舗を構え、地元産の蜂蜜や散歩用のステッキとともに、シャツやガーデニング用のスモックをつくったりしていたことである。

 いまもインテリア材料の主力工場は、ウェールズに置いているとのことだ。

 現在、英国、アイルランドで200店舗、世界の他地域で250あまり、他にもさまざまなライセンスビジネスをおこなっている。創業者のローラ・アシュレイは起業家としては、先輩モリスを凌いだ躍進ぶりだが、85年に亡くなった。

 個人的には、はじめのころの、クラシックなドレス類が私は好みだけれど、時代とともに、そのスタイルも変遷させつつ、どこかに昔のテイストを残しているのが好ましい。

 モリスやローラ・アシュレイが不滅の人気を誇るのも、よくよく考えてみると、彼らの作品あるいは商品のベースであるテキスタイルデザインが、伝統的な植物柄であるからではないだろうか。優しい色や描線の自然の贈り物に、現代人のこころも癒されるのではと考える。

 ドレスやインテリア・ファブリックは、生活必需品ではない。にもかかわらず、あまり不況の影響は受けていないようにも思う。過酷な時代だからこそ、却って、ひとはやすらぎや夢をもとめるのかもしれない。

 そういえば、モリスはミドルスクールのころ、あまり学校の授業に出ずに、田園を散策しながら、日がな、ぼーっとして、草原に寝転んだりしていたと聞く。偉大な工芸家を育てたのは、実に英国の田園だったのかもしれない。

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