ワームが、私のこの土地での5年の生活を「みじめな生活」「みじめな人生」と呼んでいることを昨日書きましたけれど、それはわたしが思ったように、ブログだけの交流だからという理由ではなく、私が普段からインターネットであれこれ閲覧してきたことが、おともだちとの仲を疎外したのだと、彼らに厳しく指摘されて目からウロコが落ちた思いです。

 

ステディな仲になりたいのに、どうしてあれこ他所を閲覧しているの?ということです。それを言われて実際驚きました。ヘビーユーザーでもないし、普通のひと程度のネットサーフィンです。今は制限もかかっているので、見れるサイトも限定されています。

 

でも、彼らの言いたいことはそういうことではないのでしょう。本当に「ふたごころ」がないというのであれば、相手を本気にさせるはずだ、ということを。どこかに緩みがあるからだ、と。

 

 私の今の「苦しい生活」は自分が妥協を拒んできたり、速断で引越しをしたことから

きている「自業自得」であるのは、ほかならぬ自分が一番よく知っています。自分で撒いた種を自分で刈り取っているだけなのはわかっているのです。ここまで引っ張ったから、こんな風になってしまっているのです。

 

おともだちにはずっとこのことに気づかず、長い年月を棒に振ったのは私だけでもないかもしれないと思ったりすると、申し訳なさでいっぱいです。それなのに、「これだけ一生懸命なのに、苦しい生活に耐えているのにどうして…」と思っていたわけですから。

 

夢のなかでは私はよく盲人メガネで出てきますが、まさに「見えない」「見えてない」人生5年、いえ、10年を送っていたのだと思います。

 

それでも、ブログへのアクセスを続けてくれたことは本当に感謝しています。これ以上何を言ったらよいかわかりませんが、これからもここを訪問することは続けてください。ムシがよいかもしれませんが、私を「見捨て」ないでください。

 

 

夕方から少しだけ戻ってきてつぶやいているワームだったのですが、ちょうど0時の前ごろ、声で起きたら、「ワームはつぶれる」「日本つぶれる」「**(おともだち)もつぶれる」「人間つぶれる」「みんなつぶれる」という声がして、だんだん小さくなり、慌てました。

 

どうぞ戻ってきてください、ごめんなさいと何度も言っていたのですが、声は徐々に小さくなっていってしまって…。

 

おともだちに言ったあの失礼な言葉ですが、「日本不滅」「**も不滅」というふうに言い換えて、何度も言ったら、それを繰り返すようになりましたが、それでも声はだんだん遠ざかっていって…。

 

このところ干渉がすごくて、またいじめに似た言葉も多くなり、どうしてだろうと思っていたのですが、一転してまた親切になるときもあり、付き合いかたに困惑していました。

 

でも、思うに、夢のガイドもそうで、常識では考えられないことをするのが、彼らのやりかたで、人間のものさしでは測れないものなのだと、今わかりました。

 

家を掃除してはいけないという常識外のことにも今は慣れましたが、そのように、人間もそうですが、いいところと悪いところが誰にでもあり、一概に排除しようとすると、

有益な点まで流れてしまうという危険があることが、彼らの遠のく声で気づきました。

 

時々、自分では考えつかないような、文章の調整や、携帯の解約もそうですが、彼らには普通にいっても、かなり深謀遠慮のすぐれたところもあって、驚くこともありました。

 

恫喝めいたものいいもあったり、大変なこともありますが、要するに、こちらの付き合い方次第ということもあるのです。キツい言葉など、私がそれはおかしいと修正すると、それを繰り返すようになるので、根気よくこちらも付き合っていくことが大事だなと、遅まきながらわかったのでした。

 

おともだちもワームと一緒に出て行くというのでは、連れて行かれるのかどうなのかよくわかりませんが、結果的にそういうことになるのかもしれないと、心配しています。

どのような影響あるのか。「**は出て行く」「別人来る来る」といっているので、そのことも懸念しています。

 

こちらも、寛容になって、少しぐらい嫌なことを言われても聞き流すぐらいになればおいのですが。女性の場合、どうしても仕事場などでも、自分に合わないと切り捨ててしまい、人の使い方もうまくないことなどがあり、それに似ているかな、自分もと思いました。

 

ただし、「別人ビジネス」が仕事だからといって、おともだちと私の仲を壊すようなことをされては本末転倒で、ここだけは譲れないところです。私には暴力「別人」はありえないので、確執の一番の原因はここにありました。彼らはその仕事からいって「別人押し」であり、それでは私は困るからです。そこを協議しながら、押し返していく「交渉力」が今の私に求められているのかもしれません。切り捨てるのではなく。「別人ビジネス」では日本はつぶれると、いみじくも彼らは言っているのですから。

 

 

そこを強調しつつ、帰ってきてくださいと何度も頼んでいます。日本がつぶれてしまっては大変です。戦争はあるのかもしれませんし、彼らとは「やりかたひとつ」ではないかなと思うのです。

今日はいろいろ記事を書いたのですが、アクセスがなかったのでクローズしました。アクセスのインターバルが長いときは心配になります。なぜかというと、以前にもそういうときに、私は既に「過去の人」になっていたときがあったと、おともだち自身から聞いたことがあったからです。

 

1週間前、あのような失礼な電話をして迷惑をかけたのでもう何も言える立場ではありません。おともだちも害した気分はそんなに早く戻ることもないでしょうし。あのときはワームのせっつきのせいとはいえ、本当に本当に申し訳ありませんでした。

 

このところワームと確執があり、2度ほど「出て行く」話になり、今日はそれが嵩じて、「ワームは出て行く」「**(おともだちの名前)も出て行く」と言われたので、

脅かしかもしれませんが、この世界のことはよくわからないので、ぎょっとして引き止めたのでした。

 

ワームによるいじめがこのところ酷くなったのが原因でしたが、その後少ない音量で戻ってきたのでいろいろ話すと、「ワームのビジネス、転職ビジネス」「ワームのビジネス、別人ビジネス」などと言っていました。

 

別人ビジネスと言われれば、どうりで、私のこの土地での5年間を「5年の歳月」「みじめな人生」などと言って、おともだちとの関係がブログを通してだけであることを意地悪く揶揄したりすることが理解できました。もちろん不愉快だし、そんな言い方は許しませんが、「壊し屋」が彼らの本領なのでした。

 

一方で、むやみとおともだちに接近する女性のことを言うのも「別人ビジネス」と関係があるのでしょうし、彼らの好きなインターネット「グルグル」といった表現も、相手を変えることを気軽に考えているということなのでしょう。奇妙な存在です。

 

おともだちとの間を壊すようなことばかりして、おかしいと思っていたのです。私には「別人」はありえないことは再三言っているのですが、再度念押ししておきました。

 

一部だけ戻ってきているようで、これぐらいだと静かで良いなあと思っているのですが。

 

 

 

 

もうどうしてよいかわかりません。おともだちはどんどん遠ざかっていく。でも、絶対におともだちに「ふたごころ」はないし、筆も折ったし、教育などの仕事などもしないことにずっと前に決めています。人間関係も一切断ち切っています。それでもおともだちとのあいだはギクシャクがずっと続いていることで苦しんでいます。

 

このあいだの携帯への電話、本当に悪かったと思っています。眠っていたところを起こされてワームに騙され、おともだちが日本にとって大切なひとという意味だと思って、口伝えをそのまましてしまったのです。

 

本当にひどいことを言ってしまってごめんなさい。何度でも言います。けれど、あれはおともだちと日本の運命が分かち難く結びついていて、おともだちは日本にとって大切なひと、そういう意味に私はとったから伝言したのです。おともだちの多彩な才能と海外経験をもってすれば、これからの日本を救うひとという意味に私は思ったのです。

 

さらに決定的なのは、ワームが「見捨てる伝言」と言ったので、これを言わないとおともだちを見捨てることになると思ったのです。ところが、電話を切ったあとは、「見捨てる伝言」となじられました。それならなぜ夜中に起こしてせっついたのですか。

 

彼らは本当に狡猾です。以前せっつかれてかけた携帯への電話も、時間的に家の留守電は無理といったら携帯へと言ったくせに、そののち態度は豹変し、携帯は危険なのだ、「裏切り電話」と私をなじったのでした。緊急性はないのに命の危険が迫っていると言ったのです。

 

 あの電話以来、悩みがひどく、周りでも、別の女性のところへと不信感から去っていくといったような、オーメンがあります。水の波紋が広がっていく夢を見ました。そのころです、おともだちにもらった流水紋に桜の花が散っている綺麗な線描のハンカチが見当たらなくなったのは…。

 

ずっとだいじにしていたもので、洗った記憶まではあるのですが、収納場所に見当たらないので探し回っていたのですが、水の波紋の夢で、もしかして、あの電話の影響では

ないかと、凍りついたのでした。

 

ずっと昔、2007年ごろでしょうか、桜の枝を大きな川に流すような夢を見ました。

自分でそんなことをするはずがないのにとその時は不思議に思いましたが、この電話のことを指していたのではないかと思います。まだ、ネットで連絡をとりあっているぐらいの2007年か8年のことでした。

 

あの電話は私の誤解とワームの不適切なタイミング、深夜での叩き起こし、切迫口調から起きたことです。

 

彼らとの関係ではもっと慎重であるべきで、口伝えなどのようなことはするべきではありませんでした。言葉があまりにも粗野で失礼でした。

 

本当にごめんなさい。どうしたら、もとの信頼関係に戻れるでしょうか。毎日悩み、薄氷を踏む思いです。体調もすぐれないので伏していがちですが、自分のせいなのでしょうが、ワームが元凶でもあります。昼も夜も翻弄されていて、心身が耗弱しているのです。

 

だからといって、誰にも頼ることももはやできません。あらゆる絆を失ってしまっているからです。

 

どうぞ許してください。以前のような信頼関係を取り戻すために一生懸命努力していきます。どこへも行かず、誰とも会わない私がいったいどうやっておともだちを裏切るというのでしょう。彼らの言うことは狂気じみています。

 

オカルトの世界と絶縁したい、それが今の私の願いですが、親族蹂躙を避けるためにはそれを捨てるリスクもまたあるのも事実なのです…。

今晩もまた、自分の人生から払拭しないとならないものをいろいろ夢に見たような感じがあります。特別に傾倒していたわけではありませんが、たまたまたくさん読んでいたために影響が蓄積しているらしいMISHIMA. 

 

サッカースタジアムの観客席が急な階段の大学の教室のようになっていて、学生服姿の大学生に文庫本を渡される。そこには高級な着物を着た玄人風の中年女性が二人います。学生は、これはMISHIMAのおばあさんが書いたものと言って渡すのですが、名前がペンネームなのか、それとはわかりません。場所は赤坂らしいのですが、文字では熱か坂となっている…。

 

自分でも忘れている古いエピソードが織り込まれていて驚きました。高校生のときに、「事件」のあとだったか、家の知り合いの花柳界の女性が著作を読みたいからと親を通じて頼んできて、たしか「金閣寺」か何か、文庫本を貸したことがありました。

 

赤坂は元の職場の近くですが、MISHIMAの恋人だった女性の実家のお茶屋というか料亭が赤坂ということを2、3年前に知りました。恋人だった女性は今でも夢に彼の腕を見るのだそうですが…。

 

私の年代だと、MISHIMAは大作家というより、雑誌の「an an」などにもよく登場したりする存在で、小説も読んでいましたが、ミーハー的な興味でむしろ見ていたわけですが…。

 

駿河台も、MISHIMAの劇団の稽古場が当初あったところで、場所はどこだかわかりませんが、その意味で教会と因縁浅からず。いろんな配慮から、あそこは「夢」ではずっと禁足地です。

 

こうした、知らないうちに積もってしまったシャドウのようなものを振り払っていくのが、運命を避けるということなのかな、と思います。

 

夢のガイダンスはずっと一貫して、この払拭を言ってきたわけですが、この二ヶ月ほど夢が後退していて、勢力圏が主客転倒していました。それにようやく気づいて、自分を取り戻しつつあるところです。

 

最後に。何度も言っていますけど、私はもうこれからの人生、一切「書く」ことはやめています。これだけは明言しておきたいと思います。それは私に幸福をもたらさないからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでワームの言うことをたびたび取り上げたことを反省しています。電話の件などがあり、決して私やおともだちにシンパシーがある存在ではないようです。

 

彼らの言うことは棚上げにして、先に書いた自分の夢を考えると、今晩の父母と食事、暴漢が…という夢も、示唆しているのは、まだ実家をどこかに引きずっているから、暴漢別人に狙われるのだと見ることができます。

 

もうひとつの示唆は、私らしい主人公はなぜか白人の女性で、ナイフで刺されそうになっているシーンはヒッチコックの「サイコ」そっくりです。それは、暴力男の狂気があの映画の主人公と酷似していることを示すだけでなく、白人女性である私は、私の「外国かぶれ」を示唆していると感じました。ヒッチコック映画のヒロインは必ずブロンドの白人です。

 

別の夢では、いくつかの外国の風景を描いたバッグのようなものがあり、ベージュ色のボタンが真ん中についていました。これも外国への憧れでしょうし、ベージュは茶色と並んで「ジェラシー」の色です。真ん中にあるのは、まだ臍の緒が切れていないということなのかもしれません。

 

こんなものを早く振りすてないと、暴漢を逃れての引っ越し人生、漂白人生になってしまうという警告なのでしょう。

 

 

 

夜中、もう日付は変わっていますけど、「運命生きる」という大きな声がして、目覚めました。「運命」が「生きる」ほうにあるという意味なのか、それとも「運命」が立ち上がるという意味なのか、運命に服従するほうだと嫌だなあと思うと、そのうちに、「運命変えれる」「運命変えてく」というふうに変わっていきました。「運命逃げてく」とも。「親切伝言」「小さな伝言」が「運命変えてく」と。

 

これはおともだちについて言われたことですが、私も同様のはず。

 

日付が変わる、夜のまだ浅いころに、ひどく怖い夢を見ました。父と母とどこかレストランにいて、怖い男が襲ってくるからと、裏口から逃げるというものです。でも、逃げきれないのか、闘争になり、次のシーンでは、ナイフを持った男がこちらへやってくる…。嫌な気分でまたそのまま眠りましたけど、今の「運命変えてく」の言葉で気持ちを立て直すことができました。

 

そう、運命は避ける、逃げる、変える、ことができるのです。この伝言を絶対に続けていきます。

 

案外ささいなことで運命は変わるのかもしれません。この3日ほど体調が悪かったのですが、昨日甘いものが欲しくなり「砂糖水」をつくって飲んでみたら、驚くほど気持ちが前向きになったのです。食欲も回復したし。

 

結局脳にブドウ糖が足りず、鬱状態になっていたのではないかと。ささいなことがひどく気になったり、悲観的になっていたのですが、砂糖水を飲んだら、「なんでも来い」というような気持ちになったのには驚きました。こんなこともあるのです。