私が矢継ぎ早に重いお願いをしたこと、性急にいろいろな「先走り」をしてしまったこと、ひどく申し訳ないと思っています。

 

確度は高いかもしれませんが、未来のことなので、予言や予兆みたいなことでしかないのに、シェルターを求めて、あれこれ言ってしまったこと、本当に申し訳なく、ごめんなさい。連続して日に何回も、しかも重い内容ばかりでした。

 

あまりにも恐怖がひどかったので、パニックで半分ノイローゼみたいになっていました。でも、それが言い訳にしかならない、冷静さを欠いた、ここ数日の記事でした。

 

毎回毎回お詫びばかりの不首尾ですが、恐怖のあまりのことだったという事情に免じて、許してはもらえないでしょうか。こころからのお願いです。重ね重ね、ごめんなさい。

 

昨日は、おともだちのアクセスが間遠になってしまい、夜に寒くて震えがきたりしたので、電車にのって、暖かい衣類をもとめて買い物に行きました。間遠なことが何が原因なのか今頃ようやくわかったカンの悪さでした。普通の生活をしたほうが、おともだちとの関係がよくなるのではと考えての行動でしたが、まるで反対を向いた愚かな振る舞いでした。

 

囁きは「独立」「独立」と言って、私がおともだちから離れて、独自の人生へ歩み出そうとしていると批判していますが、そんなつもりは一切ないのです。何度も言いますけど、仕事などの野心はもう一切ないのです。

 

私はそもそもそんな「やり手」の人間ではないことを、おともだちも知っていると思います。内向的な、静けさを好む人間で、内面はフラジャイルなのです。でも、女一人で世の荒波を渡っていくうちに、強い風当たりに身につけた鎧が、本当の私とは違ったふうに見せてしまうのだと思います。

 

仕事の話にしても、将来おともだちと何かを創っていけたらと、その部分だけで考えたことですが、ここに掲載はしませんでしたが、そういう記事を下書きしていたことも、先走り過ぎていて、仕事人生への雰囲気を誤ってつくってしまったのかもしれません。

 

囁きは「人生粛々」と歌っていて、胸が苦しくなります。自分で引き起こした結果を、自分で引き受けよということでしょうけれど、これから何を支えにどうやって生きていけばよいのか、真っ暗闇の人生です。

 

どうぞ、この記事がおともだちの目に触れて、なんとかして絆の回復になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

早速の閲覧ありがとうございます。突然重い話をしてからすぐに、お願いをしてしまいごめんなさい。

 

今朝の記事、早速閲覧してくださってありがとうございました。昨日の記事は、自分の願いをともかくも早く伝えておかなくてはと急ぎ掲載したものでした。

 

私自身はそのような悲惨な重度障害者になるような運命は絶対に避けたいのに、いつも言っているように、ちょっとしたこと、たとえば今日ですが、朝買い物に行くのに、集団登校の小学生とすれ違ったりしたことが、胡乱なビジネスの方向へ私を押しやるみたいで、囁きは「揺れる人生」「殺人事件」とぐるぐる歌っています。私自身の「意志」は断固拒絶しているのに。あくせく働くのは御免です。

 

実に簡単に意図に反した流れができたりするので、さらに細心の注意を払わなくてはと思っています。「私自身は「揺れている」つもりはまったくありませんが、私の「揺れ」がおともだちの人生にも影響してしまうようなところもあるからです。

 

隠れ家人生は、「祝福人生」なのだそうです。隠れ家で、おともだちとゆったり暮らしながら、新しい何かを創っていければというのが私の切なる願いなのですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の記事ですが、どこへ逃げても…と書きましたが、そういうことでもないようです。私自身これまでも、「あの家」へ逃れたいと、ずっと幾度も思ってきました。

 

最初に「家」にいった季節、その時期にあそこへ連れていってもらえないでしょうか。「逃げる」選択への促しもさらにあり、考えとしては間違ってないと思います。ご近所の目もあり安全ですし。

 

もちろんあなたの側の同意がなくては始まらない話ですが、準備期間などを考えてもこれがベストではないかと。

 

今の環境も維持することが常に切迫状態で、何とかくい止めているわけですので、早ければ早いほどよいのですが、あちらの環境条件や準備の問題もありますので。

 

矢継ぎ早にあれこれ言っていて、すみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

囁き

重い話題は避けると言ったばかりなのに、まことに申し訳ないのですが…。

 

今年の夏ごろからでしょうか、耳に囁かれる声のなかに「殺人未遂」とか「殺人事件」という物騒な言葉が時折、断片として聞こえてきました。でも、自分に関係のあることではないだろう、何なんだろう…とは思っていました。

 

また、いくつかの日付がぐるぐると時折囁かれてきたのが、夏の終わりぐらいでしょうか。

 

今日になって、それが他の誰でもなく私が殺されることを指していることがわかってさすがに顔面蒼白になりました。

 

今日の午後、昨日の記事でちょっと触れた、将来についてのアイディアを少し詳しく書いていました。それはまだ下書きで保存しただけだったのですが、囁き声が「殺人未遂」と言い出して、「インターネット」「インターネット」と言ったのです。

 

何のことだかわかりませんでしたが、このブログの記事は「別人」によって、どういうかたちでかはわかりませんが(もちろんオカルト空間で)読まれているらしく、それに気づいた頃、書くのを止めた経緯があります。

 

ずいぶん深部のことを書いたりもしているのですが、今日のは明るいものを、と思って未来について書き出したわけですが、推測でしかありませんが、そういったものは「別人」の激しいジェラシーを掻き立てるだろうことを、囁きは警告したのだと思います。

 

蹂躙という言葉はよく使っていますが、暴力もとんでもないですが、まさか自分が殺されるとは。未遂なのでどの程度かは不明ですが、死ななくても外傷やら大変なことになるはずです。今は、オカルト空間でストーキングされているわけですが、現実でのストーカー殺人になってしまうわけです。

 

そうして、いくつかその日付をもらっているので、どこかへ避難すればよいのかといえば、どこへ逃げてもどうも同じのことのようです。ある種運命的な力といえばよいのか。信じられないような話ですが、囁きはハズしたことはほぼありません。殺人ではないかもしれませんが、私の顔が腫れて、ゾンビーのようになっている夢を見たことはあります。

 

それ以上詳しいことはわかりません。しかし、どうやって居所を知り、やってくるのかはわかりませんが、私が一人で暮していることは大きなリスクになるはずです。

 

「運命」はあっても、それは「超える」こともまたできるのではないかと私は思います。「別人」はおともだちと私のつながりに激しく嫉妬しているらしく、それにもともとの暴力性が拍車をかけての、「事件」ということになるのでしょう。まったくキチガイ沙汰とはこのことです。

 

こんな重い話の上にさらに言うのもためらわれるのですが、おともだちには、その意味で、来年中に再会できないものかと思うのです。最初の日付は2020年の初めですから、どうしても2019年のうちに再会したいのです。

 

私がおともだちと再会して絆ができてしまったら、諦めて離れていくような気がしますし、少なくとも、ただの他人の存在と異なって、大きな抑止力になるでしょうから、簡単に近づくこともできなくなるでしょう。

 

この「殺人未遂事件」は大きな分かれ道になると思うのです。おそらく、そこで私が「殺られ」れば、おともだちとの絆はもはや絶たれてしまうといったような…。傷から回復しても、私たちの道が交わることはないようです。それを思うと、胸が苦しくなりますが。こんな暴力は絶対に許せないし、乗り越えるつもりです。でも、生きて、元気な姿でおともだちに再会したい、それが私の願いです。

 

囁きは最後に、「忘れる人生」「与える人生」とぐるぐる歌っていました。いつまでも。

 

 

 

 

昨日の「変化」の記事で、間違ってとった電話は「別人」のものではないと書きましたが、今思うと、その書き方だと普段「別人」から電話がかかってくることもあるのかと誤解されてしまう可能性があることに気づきました。

 

まったくそういうことはありません。コンタクトは一切ありませんので。

空を仰ぐ

昨晩からいろいろ考えていました。私のブログ記事ですが、少し距離を置いて他人の目で見てみると、以前から重いテーマが多いなあという印象を、今更のようにもちました。

 

預言、三島のこと、宗教など、暗く重いテーマが目白押しで、これを書き続けてきたことで、ある意味、おともだちのほうにも、ある種影響を与えてきてしまったのかなという思いがあります。

 

通して見てみると、周囲の風景や植物などの身辺雑記的なものもありますけど、全体として、不気味な印象です。

 

ここ数日の家族にまつわることは、おともだちに私をなんとか理解してもらいたいと思うあまりに、行き過ぎになっていたのではないかと思います。また、そこまでの情報というか内容をおともだちは知る必要もなかったのではないか。もっと別の触れ方、さりげない暗示で表現できることもあったはずと思うのです。

 

おともだちには、毎回、重量級の思い込みや悩み、心酔していたものなどを、押し付けていたように思います。自分をわかってもらいたいという思いのあまりに。

 

冷静になってみると、私の「重さ」がだんだんおともだちを遠ざけていってしまったのではないかと思うのです。誰のせいでもない、自業自得というものです。これでは女性としてもひととしても、魅力に欠けた姿でしょう。これは読みたくなるようなブログではないわけです。

 

幸い、私には植物や樹木、自然に対する興味や生活の些事といった、「普通の」関心事、情熱もあるので、これからはもっと現実に根をおろした、明るい方向へ歩んでいきたい、ブログなども、と思っています。

 

私にとってこれからの人生は、人生の最終段階になるはずです。ここ数日書いた暗い内容の過去がどれほどあったとしても、「新しい人生」の選択、もっと明澄で思考過多にならないような、軽々とした人生の選択をしていきたいと思うのです。

 

地中に向けてひたすら穴を掘っていたのをやめて、空を仰ぎたいのです。

 

 

 

 

 

 

待ち人

昨日のクローズした記事のことですけど、おともだちを不愉快にさせてしまった反省とともに、同時に大きな不安が膨らんでいきました。

 

最後の「事件」の部分だけ書いたのだったら、おともだちは「彼女」に近づくことはないでしょう。が、男性であるおともだちにとって、次の世代をもうけられることは、大きな魅力でもありメリットではないかという思いです。

 

そうして、なぜ、誠実なはずのおともだちがそこに向かうかといえば、私にとっては、まったく「切れてしまっている」「別人」の影こそが、おともだちを「彼女」に向かわせるのではないか…。私に曖昧さや不誠実があったとは思いませんが、いつまでもオカルト空間をうろつくこの男のことは、おともだちにとって、喉に刺さったトゲのようだとしたら…。それはまことに申し訳ないことです。

 

そうして、子供のことは「事実」ではなかったわけですが、長年の思い込みの蓄積は形をとっているらしく、オカルト的に言えば、何らかの残滓のようなものがあったのでしょう、あの記事を書いたあと、うとうとしていたら、私の首の回りにまつわりついている小さないじけた人形みたいなものがあったので祓っておきました。

 

私自身、あそこに書いた夢のことは、すでに私のなかで、子供の問題がもう過去のものになって、なんのこだわりもなくなっていたので、あのように無防備に夢の内容を書いてしまったのですが…。あなたの側ではなぜこの話題を持ち出したのかと、不愉快であるはずだと、あとで気づきました。遅すぎましたけれど。

 

そのデリカシーのなさを改めてお詫びしたいと思います。

 

 人生はちょっとしたボタンの掛け違いで、大きく変わっていくことがままあります。昨日、私が余計なことを書いたことも、「掛け違い」のひとつといえます。

 

話を戻しますと、昨日の記事を書いたことで、私のなかにおともだちが彼女のほうへ行ってしまうのではという不安が芽生えたわけですが、考えてみれば、10年待ったから、私のところへ来て、というのは、勝手なのかもしれません。あなたが待っていてくれと頼んだわけではありませんから。

 

でも、細々と長い年月、ネットを通じて、お互いに感情を通わせてきた私たちの過去は

万一そうなったとしたら、何の意味もない、ただの時間の堆積になってしまうのです。

 それはとても寂しいことだし、私にとっては耐え難いことです。

 

 だから、敢えて言いたいと思います。私の、私のところへ帰ってきて、と。