不案内な世界で次々とよくわからないことが起きて、対応に追われるうちに、今度は考えすぎになっていたのかもしれません。

 

もうちょっとゆったり構えて、暮らしていかなくては、と思いました。

 

このところ、ノイローゼとまではいかないけれど、軽くそんな感じだったかもしれません。追い詰められ感が半端ではありませんでした。

 

今も状況はそんなに変わっていないのでしょうが、気持ちをちょっとだけゆるめて、

暮らしていきたいと思っています。

 

昨日、今日と、こちらはとても寒いです。4月ぐらいの陽気でしょうか。梅雨寒という言葉がピッタリです。

 

 

今朝、チャンドラの表示があって、自分の立ち位置、ああ、いまこういうところにいるんだなあというがわかりました。この点に気をつけないといけないんだなあということも。

 

これがあると本当にありがたいのです。

 

ずっと以前は誤解してプラスに解釈していたりしていたものでしたが。今は、記事のタイトルだけで、だいたい「このこと」というのがほぼすべてわかるようになりました。それはこの半年ぐらいでのことでしょうか。

 

最後にひとつふたつわからないものがあったのですが、それも氷解しました。

 

この短信はとても貴重なのです。短いけれど核心を衝いていて。

 

 

 

 

 

シクラメンも半分ぐらい枯れた。ラヴェンダーも半分ぐらい黄色くなってしまった。

どうしたらいいの…。

 

チャンドラの指標もないから、頼りにするものもない…。

 

真っ暗闇のなかを歩いている毎日。

 

ひとりぼっちで。わからないことだらけのなかで。

 

眠れない日々。

 

死が私のまわりを取り巻いている。

 

逃れようとしても、追ってくる。

 

おともだちは行ってしまったの?もう、どこかへ。

怖い

結局、今日は雨のなか隣駅までいったけれど、目当ての支店はなくなってしまっていた。他の銀行は関係者がいて、使えない。

 

同じ銀行で残るは別の町の、ちょっと遠いところだけ。今度はたしかめて、と思い、電話してみた。コールセンターのオペレーター待ちの音楽が「エリーゼのために」だったので、ぎょっとした。

 

今日のチャンドラの指標は「エリーゼのために」。問い合わせはしてはいけなかったのだろうか。

 

運命が私を苛んでいる?怖い。

やっぱり前のようなことが起こっているのかなと思います。処分や支払いに行けるかどうかという心配が私のこころを占めているように見えて、おともだちは気分を害しているのかもしれません。

 

たしかに、それに追われすぎては本末転倒なのですが、でも、それをやらないと、おともだちとの関係も危うくなり、さらに請求書を滞納するとこの通信さえもできなくなってしまうので、とにかくクリアしなくてはならないのです。

 

けっしておともだちのことをないがしろにしているわけではありません。

 

ただ、処分の詳細もどんどん変化して複雑になっており、失敗などであたふたしているので、どうしてもそういう印象を与えてしまうのかもしれません。気をつけますが、それはおともだちとの絆を保つためにこそ、やっているのだということを理解してもらえると有り難いのですが…。

 

 

 

何か今日はおかしな日で、変なことばかりが起きる。

 

「動き出した」というと、おかしな表現だが、凍結してあるはずの母との関係が、揺らいでいるかのような。

 

後見団体のスタッフから、午後に電話があった。留守電に対応させたが、またかけますとのこと。病気とか緊急案件なら固定電話で出なかったら、携帯にかけるだろうし、

これはむしろ指標、サインととったほうがよいのではと感じた。

 

ちょうどそのとき、大きな駅にいくバスの時間を調べてきたので、地図と照らし合わせたりしていたのだが、ふと、駅ビルが新しくなったので、「向こう」が興味を持っているのかな、この駅を使うのは妥当ではないかも、と思い、北上する小さな駅への便を調べたら、便があるようだった。

 

それで終わりならよかったのだが、夕方にまた同じスタッフから留守電に電話があり、

また後日電話いたします、とのことだった。結局緊急性はないのだろうし、下手に電話に出て、巻き込まれては大変、と。

 

夢のなかで、時計の針が9を指すものが、ちょうど1週間前にあって、時間のことかな?それとも日にち?と考えていたのだけど、今日のことだったのかもしれない。

 

私にとっては、母とコンタクトを持たないために、攻防戦というか、精神的・物質的にバリケードをつくっていわば立てこもっているのだが、そのほかに、外出や食べ物で刺激をしないように、最大の注意を払っているのである。なにか時空を超えて察知する力があるみたいなので…。

 

今日はよくイコンが倒れる日だった。それだけ危険がいっぱいなのだろう。