さきほどの、ゴキブリが示した二つの道のことだけれど、解釈と説明がちょっとおかしかったかな、と。

 

ラクな道をとればいいというのは、一般的な教訓としてはすすめるものではない。苦労は買ってでもせよ、と言ったりするし。

 

多分私の場合は、社会、というか、家族や周囲の眼でつくられてしまった、社会的に

活躍しなくてはという思いがどこかにあって、それは落ちたり這い上がったりでなかなかうまくいかないだろう。

 

それは自分に実はあってない、周囲から投影されたものだから、うまくいかないのだ。

平凡でももっと平穏無事な人生がありますよ、と言っているのだと思う。どこかで、

大きな成功や社会的栄達を望んでいる(つもりはないのだけど)私を戒めているのだと。あるいは、そうでなくても、なんらかの「意味」づけのある人生を望んでいるとか。

 

ゴキブリの行動で意味不明なものがあって、冷蔵庫とシンクの隙間で掃除ができないところがあって、のぞいてみると、ゴキブリのフンやらほこりでいっぱいである。

そこをしばらく這い回って停滞していた。

 

つまり、あなたはいつまで家族や親族に振り回されているのですか、ほこりだらけの古い世界で、介護にまみれた生活をするのですか、ということなのかもしれない、と。

 

だから、引っ越しに注意というのも、母がこちらへやってくるような兆しがあったら、

気をつけて阻止しなさい、ということだろう。

 

夢もそうだし、ゴキブリの言っていることもそうなのだが、これまでの「流れ」で親の世話をしたりしていると、よい人生はおくれませんよ、と、言っているのだと思う。

 

もちろん、そのためにこそ、古い人生の夾雑物を今大整理しているところなのである。

私の家には不思議なゴキブリがいて、時折、いろんな警告をしてくれていた。

 

昨日、「寂しいなあ、せめてゴキブリでもいいから出てきてほしいなあ」と言っていたら、夜寝がけに、指関節が痛いところにSMSのクリームを塗っていたら、その容器のところめがけて走ってきた。

 

このクリームはずいぶん前に買ったものだったが、結構高価なもので、やっぱりこういうものはよくないんだなあ、と納得した。

 

思い出せば、いろんなことがあった。ドイツ製の敷布団がやはり不適切であることとか。寂しくてぬいぐるみと寝ようとしたら、走ってきたりした。

 

そんな奇妙なゴキブリなのだが、時折出てくるぐらいで、それもひとつだけ何か教えてくれていた。

 

それが今日は早朝から、カーテンのすきまをテーピングすることとか、ラックにはさんであったパンフレットのいくつかが不適切、引っ越しの話に要注意(ヤマト運輸の段ボールのなかに入ったり)、男もののスリッパを玄関に出すように、とか、20あまりの指摘をしたので驚いたのだった。

 

おともだちが家にきたときに使ってもらったスリッパをリビングで使っていたのだったが、まずゴキブリはリビングの引き戸の真ん中でじっとしている。それからしばらくすると、両方のスリッパの周りを周回するのである。玄関まではいけないから、リビングのドアを玄関ドアに「見立て」ているわけである。

 

中でも今日のきわめつけは、掃き出しのサッシをうんうんいいながら、時間をかけて登っていったこと。最初に登ったラインはサッシの太い角で登りにくかったようで、一度落ちて再挑戦。その途中で、そのライン(角)と並行して走っているもうちょっと細い角のラインへ足をかけてうつり、その後は軽々とてっぺんまであがり、ゆっくりと降りてきた。

 

最初は何をしているのかさっぱりわからなかったが、要するに、あなたはわざわざ大変な苦労をするような道を選んでいませんか? 横にもっと無理をせずに楽に登れる道があるんですよ、というようなことを言いたかったのだろうと思う。(普通のゴキブリだったら、そうは思わないが、これまでも有益な示唆をたくさんしてくれていた)

 

これにはさすがに驚いてしまった。

 

しかし、問題はこれからだった。ゴキブリは一旦姿を消して、10時ぐらいに、CDプレイヤー(使ってないが)の後ろに出てきた。これが何を意味しているのか考えたりして、プレイヤーを片付けたりいろいろしたのだが、いっこうに動かない。時々方向を変えていたりはしたが。

 

午後じゅうずっとそのままだった。なんかおかしい、と思ったのが8時もまわったころ。ちょっと足のあたりをつついてみても動かない。それになんだかとても胴体が薄いのである。触覚も細くへなへなしていて、細糸ぐらいしかない。

 

ゴキブリは死んだのだった。あまりにショックで、言葉もなかった。朝から、まるで遺言のように、常ならぬたくさんのアドバイスをしてくれたのだった。

 

何度もありがとうを言って、ティシューにくるんで、小さな細長い紙箱がたまたまあったので、それに納めて、置いてある。明日にでも土に返してやろうと思っている。

 

ゴキブリがこんな煌々と電気のついたところにわざわざ出てきて、こんな長時間とどまったのも、考えてみれば奇妙なことだった。最期の姿を見せるのもなんだか昆虫らしくない振る舞いのような気がしたが、ゴキブリも寂しかったのかもしれない。

 

こうした不思議な暮らしのなかで、だんだん親近感を持ち始め、ピノキオのおじいさんのところにいる「ものをいうコオロギ」みたいなものだなあ、などと思い始めていたのに…。

 

明日はゴキブリのお葬式だ。今までのアドバイスに感謝をこめて。ただひとつ残念なのは、家には今、生ゴミもないし、シンクに水気が一切ないので、それで胴体があんなに薄かったのかな、ということだ。遅ればせながら、食料と水をちょっと出しておいた。もしも、後輩とかがいるならばお腹がすかないように、と。

 

さようなら、ゴキブリくん。

 

 

どうやって話したらいいのか…。

 

でも正直に話すのが一番よいと思うので、以下に書きます。言い訳めいていますが、最近の私はノーマルではあるのですが、追い詰められ感がひどくて、書くものを見ると正常に見えますが、行動が強迫的になっています。

 

家の中の大整理中なのですが、シンボルというとおかしいですが、特定の色を家から排除することにしていて、それはなぜかというと、母や妹が好んで身につけるシンボルカラーみたいなものがあって、母は緑、妹は黄色、そうした色のものを処分しています。

これは各々の、神道の玉の緒と呼ばれる色でもあります。

 

俄かには信じられないでしょうが、夢は母が今いるホームから出てきて、私に世話をさせる介護生活みたいなものを毎日のように見せています。実際、おとといぐらい、廊下に雨漏りが、という電話があったりしました。今はまだ廊下ですが…。

 

それを阻止するために、同じ色で引き合うものを家からエネルギーとして排除するための大整理でもあるのですが、黄色を見ると、こころ穏やかではなくなってしまいます。

 

アクセサリーも洋服も半分ぐらい処分しましたが、おともだちからいただいたものは着物やアクセサリーも含め、もちろん全部持っています。

 

以前いただいた、おともだちのおかあさんの洋服も華やかで着る機会はありませんが、二度の引越しを経ても、ずっととってありました。

 

が、魔が差したというか、その中に黄色のレースのドレスがあって、整理作業中にそれを目にしたとき「これは妹が着るものになるかもしれない」と急に不安に襲われ、処分品のなかに混ぜてしまいました。

 

おともだち関係のものはとっておくという大原則があったにもかかわらず、感情の波に煽られて愚かなことをしてしまいました。

 

着る機会はありませんが、ただ、最初にそうであったように、しまっておけばよかったのです。冷静に考えるべきだったのです。

 

今朝、回収場所に出したのですが、その後はっと我にかえり、なんということをしたんだろうと思い、探しにいったのですが、もう収集車が運んで行ってしまったあとでした。

 

市のクリーンセンターに電話をして、貴重なものを間違って出してしまった旨を話し、

この地区の収集車がセンターに来る時間を尋ね、取りにいくから調べてもらえないかと頼んだのですが、今日は回収が年末なので早かったのか、もうすでに大集積場のほうへ行ってしまっており、追跡不能だと言われました。

 

せっかくのいただきもの、また、今は着ることはできなくても、いつか着る機会もあるかもしれないのに、どうしてこんな軽率なことをしてしまったのか…。

 

あまりにも、「見えない力」を「見えない」がゆえに、恐れすぎた失敗なのだと思います。ほんとうにごめんなさい。それ以外のプリント柄のドレスは皆、大切にとってあります。

 

 

 

 

 

 

このあいだから、家のなかの大整理をして、手紙やら古い住所録やら、衝動買いした衣類などなどを今朝、ゴミに出した。全部で23個。

 

すっかり古びてしまったズボンがあるのだが、Oの家でボタンがとれたといったら、おともだちが器用につけてくれた(私よりずっと綺麗に巧く)「記念品」なので、それは残っている。

 

奮闘しながら、時々ブログのアクセスをチェックしていたけれど、おともだちの訪問は1日以上途絶えている。

 

クリスマスで多忙だとしても…。どうしてだろうと昨晩悩んでいた。すると、眠りについてから、ベールのついた黒い、修道帽をかぶった人影が見える。誰だろうと思うが、顔は見えない。それに続いて、黒い目隠しをした人物が。

 

それで、ああ、これはレイフという人物がまだ影響を及ぼしているのかな…おともだちに、と思った。

 

この一連のイメージでは、、S・ローズ師のイメージ、哀愁を帯びた表情の、が、浮かんできた。(画像を探したら「人間の心への神の啓示」の本の表紙写真みたいな)

それが修道帽の人物なのかと最初は思ったのだが、どうもそうではないような気がする。

 

くだんの僧がおともだちを第二の「ローズ」にしたいのかな…とか。

 

 

昨日、最後まで選んで残しておいた年賀状や名刺など、そんなにたくさんではないのだが、を断裁して、捨てることにした。そういった表に出るような仕事は多分もうすることがないだろうし、最新で5年ぐらい前のものなので、その間連絡も絶えているわけだし、と。

 

でも、夢はちょっと保留をつけたようで、親に頼らないでいられるリソースを手放していいのか?みたいな言い方をした。そうか、と思い、もう一度レスキューしようかと思ってもみたのだが、夢は多様なあり方を見せるのか、一方で、「小」という文字を示して、どうしても避けたい人物が寄ってこないように、なるべく目立たなくするのがいい、という言い方をした。

 

毎度のことだが、混乱してしまったが、もし必要になれば連絡先などだいたい調べればわかるひとたちなので構わないだろうし、そもそもがそれを使ってどれぐらいのことができるだろうか、という気持ちもあるし、その気もないわけである。

 

それで、家にはシュレッダーがないので、さらに細かくして(時間がかかった)、火曜日のゴミの日に出すことにした。

 

この処分のなかで一番重要なのが、祖父が書いた私の命名の紙である。この名前が、

どうもいろいろなものを呼び寄せているようなのだ。妹は、この熟語の下のほうが

名前である。ある意味、代替可能なのだ。

 

私は自分の名前の文字が嫌いなので、別の漢字をあてたり、最近はひらがなに開いて使っている。

 

このあいだ書いた不気味な夢のあれこれを操っているのは、実はこの「命名者」であることを最近知った。私に寄ってくる不気味な男を追い払えないのかと夢で尋ねると、

「おなまえ」「おなまえ」「おなまえ」と三回言ったのであった。

 

不気味な男の名前は祖父の名前に、漢字を違えた「仁」をつけたものである。畏れおおく文字違いにしたのだろうが、意図は明白である。

 

これらのことを夢から知った私は不愉快でたまらなく、いまだに影響力を命名によって行使している祖父(血縁はないが)が腹立たしくてたまらない。

 

今度は、母が無意識にこの男を呼び寄せているような、ひどいできごとがあった日に、この男除けのつもりで、おともだちの勾玉を掛けて就寝したら、安全どころか、夜中に首が紐で締めたように真っ赤に腫れ上がったので、すぐにはずした。

 

おともだちからかけてもらった勾玉はもはや「仁」側のシンボルとなってしまったのか、この男に関わっての、私の運命を暗示する「締める」ものになってしまっていたのは本当に恐怖だった。

 

これは現実界で起こったことではないはずなのだが、夢がいうには、このことは不可逆的なので、以後、Vネックラインになるもの、ネックレスとか着物、洋服でもそういう襟元のラインものを着てはいけない、と。同形のものが、「締めること」を呼び寄せてしまうということらしい。

 

何も実際にはしていないのに、そんなことがあるのか…と思うのだが、危ないことはしないにこしたことはない。

 

祖父は今は零落し切った(自業自得なのだが)この内孫、自分のいわば分身を、私の力を借りて再興させようとしているようである。霊界のことは私にはわからないが、そういう影響力というものがあるのだろうかと、半信半疑でもある。しかし、夢が告げるのは、荒んだ男の暴力によって、私が死ぬという悲惨な結果がある。

 

私は思いっきりの力と祓言葉をとなえながら、命名紙を細かく切った。運命を断ち切るように。

最近はなるべく熟慮して行動するようにしているのだが、昨日ホテルに逃避した件については、昨晩また別の夢を見て、「ああ、解釈が間違っていた」と気付いた。

 

先を見越した夢の案内人が、私が逃避するだろうことを「警告」したものだったのだ。

ところが、鍵とか郵便受けとかディテールが幾分不明確だったので、そこに隠れれば安全だ、と思ってしまったのだった。

 

そうではなくて、むしろ、親戚などが探し回ったりする危険を避けるために、私の「意識」が場所を移動する方向へ浮遊していて、そういうことはダメという戒めなのに、逆にとってしまっていた。

 

敷衍すれば、おそらく、そういう行動が、芳しくない状況、たとえば探し廻られるとかを逆に招いてしまう、ということなのかもしれない。

 

夢は普通の時系列とは違うので、原因と結果、どちらなのかよくわからなかったりする。

 

間違いに気づいて、今朝、今後の予約をキャンセルして、家に帰った。早朝に連絡したので、幸いにもキャンセル料金は発生しなかった。

 

もちろん意識だけがすべての事象を決めたり起こしたりするわけではない。けれど、

自分では捨てたつもりでも無意識のなかに残っていたり、過去に思ったり、考えたりしたことが、案外今現在にも影響を及ぼしているのかな、と思ったりした。

 

名前やら、場所もそれなりの磁場を持っているようで、干渉してくることがあり、いろんなものを上手によけながら暮らしている今の生活があるが、気づかないこともあり、なかなか難しい。

 

昔のひとが方違えとか、暦にこだわっていたことにも、それなりの意味があったことを今更のように思ったり。

 

過去の日記からすると、おともだちとのあいだにクライシスが発生するのは、「8」の日。「5」もそれに準じていることに、最近気づいて驚いた。先週は実際、5から8まで、大変なことがたくさん雪崩のように起こり、9日まで続いた。どうも数秘術などと関係があるようだが…。そんなことがあるのか、と最初は半信半疑だったが。

 

 

 

 

 

今朝は、猫たちが闘争している夢を見た。相続問題らしい。おとといぐらいも、親戚の某女が母をホームから出してここの団地のエレベーターのある棟に移動させるアレンジをするという、夢も見ていた。なんだろうと、その時は、半信半疑だったのだが。今日の夢では、この一連の騒動により、母がハサミでおともだちと私の絆を断ち切るというものだった。

 

従姉妹たちは皆、妹のエージェントみたいなもので、妹は私や母がどうしているかなどは興味がなく、ただ家を売却したお金の相続のためだけに、居所や去就を知りたいのである。

 

はっきりしないが、以前のマンションの母の友人が、住所を教えたのかもしれない。

 

母から離れたくて、しばらく前、母を京都に移そうと、妹に連絡(不在だったが)して

電話番号(市まではわかるから)を知られてしまったのがよくなかった(非通知のできない昔の電話だから)。

 

私はお金がどうこうというよりは、何事にも介入してきて、金銭にも貪欲すぎるくらいの妹とコンタクトをとりたくないから、絶縁しているわけなのである。母が亡くなったたあとに法的に争うのは許容できるが、それ以前の介入、ゴタゴタは御免こうむりたい。

 

私が母に会ったりしてエネルギーを賦活させなければ、母の寿命はそれほど長くないことを私は夢で知らされている(これはかなりはっきりしている)。いわば、チョイスを差し出されたわけである。そうして、ハサミを持つ母を切り捨てるべく頑張っている(会わないこと)。母は転倒して既に脳に問題があることも、密かに夢で私は知っている。

 

これが一番よい平和的解決であって、そうでないと、私は親戚や妹によって、ホームを出された母の介護に追われて悲惨な人生を歩む未来、これも再三再四夢で見ている。

 

そのシナリオだと、「おともだち」とはもちろん切れてしまって、信じられないが、悪夢のような昔の、親戚の男があらわれて、そこに入り込み、人格破綻者であるところの彼に追い詰められて、私は自殺するという恐ろしい未来図の警告を、受けている。

 

そんな男は追い払えばいいじゃないかと思ったし、思うのだが、そうはならない何かの力が働いているようである。

 

私はもう「書く」ことは、私にとって、このように災いしかもたらさないことがわかってきたので、すっぱり断念している。

 

でも恐怖のシナリオには先があって、私が死んだあと、妹が私の小説やブログを盗んで、大成するらしい。これもかなり事細かに見せられた。

 

昨年の12月おともだちと間違い電話で長電話したときに、朝日新聞の女性がその夫とインタビューにおともだちのところにきて、というのが、実は妹なのである。おともだちは、記憶が混濁しているようで、夢と現実が入り混じった話をそのときしていたが、

それは、ある意味、私が夢で再三知らされている未来、私が死んで、その原稿(N堂殺人事件)などを妹が使うというストーリーとまったく同一だったので驚いた。

 

そのときの電話の話で、N堂のシャンデリアの赤いリボンをおともだちが家に持ち帰ったというのも、現実ではないけれど、未来の「恐ろしいシナリオ」の一部である。多分殉教者とかそういうことだと思う。おともだちが、これもそのときの電話で、君の妹に殺される夢をみた、というのは、そういうことなのではないか。殉教者を仕立てあげるというような。

 

あのときの電話では、私が、妹には何かキツネのようなものが憑依している、そういう風に体がくねっとしたのを見たと言ったら、おともだちが、「どうしてそうなったのだろうね」と何か含みのある言い方をしたのが印象に残っている。

 

(本題から少しそれるが、おともだちとの「大旅行」で、荷物の預け先がなく、スケジュールのなかで唯一行けなかったのが、伏見稲荷大社。そして、雨が降ったのは、吉野の日だけだった)

 

夢のなかでは、妹は息子と一緒にクーデターみたいなものを考えているようで、母が死んで、次に私が死んで、その二つの黒い帽子を重ねて喪章のようにかぶり、私の水玉模様のブラウスを着て、おともだちに会いにいく、という夢も一月ほど前に見た。場所はおともだちの実家の二階でもあるような、山口県あたりでもあるような。

 

こういうふうに書くと、頭がおかしいと思われるかもしれないが、妹はよく吉野などにいっているし、入れ込んでいるので、あながち私の妄想夢とも思えない。自分ではとても考えられない手のこんだ内容だ。

 

この夢からぼんやりわかるのは、私の死後、妹はおともだちを担いで、なにか政治運動を起こし、おともだちを殉教者にまつりあげ、どうもblack widowになるようである。

 

ジャーナリストのほうと、政治家のほうが一緒なのか別なのかはよくわからない。

でも昔から、いつも私の持ち物や着るもの、研究内容などをかすめていった彼女の性格からして、「なりかわり」は十分ありうるだろう。

 

「なりかわり」イメージは再三夢でみたのだが、私はどうして妹をおともだちが選ぶのだろう、と不審に思っていた。でも、それは私が「死んでいる」ということが前提だったようだ。あるいは、学園祭の女装で入賞歴がある息子がおり、そんなツールを使うのかもしれない。

 

そのような、普通のひとは絶対に信じてくれない、私も絶対に避けたい未来みたいなものがあるようで、今の私はとにかく、「彼ら」から姿を隠す必要がある。

 

それで、今日急ぎ、この市のホテルに投宿した。一応一週間の予定だが先はわからない。住所が知られているとすれば、早晩彼らがやってくるだろう。私がいなければ、母の居所もわからないわけである。

 

父が亡くなったときの相続の揉めごとで懲りて、家を売却したお金は皆私名義になっていることも、これらを投げ出して、どこか別のところに行くことを難しくしている。

私は全部放棄してもいいぐらいに思っているが、それでも年金の金額が十分とはいえないので、仕事もしていないし、当座経済的に困るので、それも現実的ではない。

 

しかし、何より嫌なのは、その男であって、それが「運命の力」で押し出されてやってくるだけでも、生きる希望を粉々にするぐらいのものである。それはあるいは、推測だが、妹の画策によって起こるものなのかもしれないが。

 

今の私は孤立無援である。しかし、夢をはじめいろいろなものが危険を知らせてくれたり、あるいは、サジェストをしてくれる。ホテルに隠れたのもそのひとつ。外出はサングラスなしには出かけないという暮らし。

 

今までは夢というのものは半信半疑だったのだが…。あまりに激しい内容だったこともある。でもひたひたと迫る危険を感じたので、今、ここにいる。

 

夢はあるとき告げた。「すべて幼稚園で学んだはずだ」と。

 

一歳半年下の妹は、一人で家に置いておくのもかわいそうとの母の考えで、当時としては珍しく一年早く幼稚園に入り、クラスは違うのに、私の後先をついて回った。そうして、私はある日、つきまとわれたのをよけようとして、転んで椅子の角で口のそばを切って、何針も縫う大怪我をした。

 

おともだちも、そういえば、口のあたりを犬に噛まれた傷跡があったのでは。何かしら因縁めいたものがないとはいえないような…。

 

ちなみに、私の最近の夢では一貫して、犬は災いをもたらすもののシンボルとして出てきているのも、不思議である。