自転車

強風で八重桜も半分散った今日。桜の絨毯ができている。

 

冬のあいだは枯れ野原状態だった猫が原も、ヒメジョオンアカツメクサが伸びて、

緑の雑草も生えてきた。サツキやツツジが咲き始めた。

 

買い物から帰ってきたら、階段の上り口の空きスペースに見慣れない自転車があった。

自転車置き場はそれより横にあるのだが、誰か来客のものかもしれない、ハンドルのところにパワーボタンなどのタッチパネル式のものが見えたので、電動自転車なのだろう。

 

階下のおばさまも、70代半ば?ぐらいだが、どこへ行くのも自転車で、あまり歩いているのを見かけたことがない。

 

猫を獣医に連れていくときも自転車に乗せていくらしい。運転免許は持ってはいるが、クルマはとうの昔に廃車にしたのだと言っていた。私ぐらいの年代の人は皆そうだといっていたが、このあたりは、道路も広く、その割には交通量が多くないので、自転車走行向きなのだろうと思う。

 

たしかに、体の不自由な高齢者以外は、高齢者でも自転車で買い物などに出かけるひとが多い。

 

駅前まで歩いて5分強ぐらいなので、今のところ、買い物にも歩きで不便はしていないが、たくさん食料品などを買った場合は、たしかに自転車があると便利かもしれないと思う。

 

このあたりはフラットな地形なので、電動である必要はないと思うけれど。

 

 

非常持ち出し袋

八重桜も散り始めた日曜日。朝はめっきり冷え込んだが、昼間は汗ばむ陽気。

 

内閣府では、ミサイルやバイオテロ化学兵器の使用があった場合の対応をパンフレットにしてつくって、ネット上でPDFで公開されているのでパラパラ読みしてみたが、

窓から離れるぐらいはいいが、地下室のあるような家はあまりないし、実際、そうした汚染があった場合、掃除などせずに警察や消防に通報して、あとは体を水と石けんでよく洗いましょう、程度のことで、全然とは言わないが、あまり役に立ちそうもないので、印刷するのをやめた。

 

自治体によっては、避難訓練もしているところもあるのかもしれないが、首都圏ではそんな話も聞かない。

 

第二次大戦時、ロンドンで子ども時代を過ごした知り合いが、以前、当時すでに、ナチスの毒ガス攻撃に備えて、映画に出てくるような防毒マスクが配られた話をしていたのを思い出し、日本は「竹槍」の時代とあまり変わっていない精神構造なのだなあ、と思ってしまう。

 

北欧やスイスなどでつくっているような核シェルターの話なども、こんなにたびたび脅威にさらされている割には、つくろうという話も聞いたこともない。

 

呑気というか、「なるようになる」といった運命観、価値観の日本は、やはりアジアの国なのだなあと思う。それそれで悪くないのかもしれない。

 

私も、東日本大震災のあとの、過剰警戒の反動で、あれこれ備えることに倦み疲れ、水や食料だけは確保してあるが、さまざまな備品を備えたりするのはもうやめている。

 

あのころは、貴重品だけでなく、PCのデータや写真類なども、非常持ち出し用に厳選バージョンをつくったりして仕分けしていたが、そうした作業をいろいろやりすぎて、どこへしまいこんだかわからなくなったものなどがあり、かえって困っている。

 

昔は本にも執着があったが、「どうしても持っていたい」というものも、あまりなくなった。大事なものであればだいたい頭に入っているわけだし。

 

ただ、草津翁の遺品というか、写真や原稿、手紙などは、自分のものではないので、

ある意味どうしようと悩む部分がある。大震災のころは預かり品で貴重なものと思っていたので、地方へ行く時も必ず携行していたぐらいで、実のところ大変だった。

 

ところがある時、この遺品(といってもわずかばかりのものだが)、これを送ってくれたN師が、私が避難をしたときもいつも携行している旨を報告したときに、一向にその所在を気にしていない風で驚いたことがあり、それ以降、後生大事に持って歩くことはやめた。

 

自分のものであれば、決断は自分でできるのだが、いささかこの存在に困っていたりもする。

 

考えてみると、祖母の数珠であるとか、伯母が書き残した自分史みたいなノート数冊とか、処分できないものがいくらかあって、これらも捨てるわけにもいかず、困ったものである。

 

そう考えてみると、自分にとってどうしても持ち出したいものというのは、少ないなあ、ということに気づき、感慨深いものがある。6年前のあの時には、あれも、これもと思っていたのだったが…。

 

その意味では、「有事」は天が見切りをしてくれる、好機なのかもしれない。実際、あの震災がなければ、私も今ここにこうしてはいないと思うわけであった。

 

 

 

 

蕎麦屋

 

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今日は少し肌寒く、まだまだ満開の八重桜が咲き誇っている。先日のような極端な夏日ではなく、朝晩は空気がひんやりしている。

 

ダウンコートなどは最初に片付けてしまったが、今度はセーターやら、帽子やら手袋やらを洗ったりで、なにやかやと忙しい。郵便局や銀行も連休前に行っておかなくてはならないし。

 

不思議なのは、駅のATMも金曜日は結構列になっている。なので、私はそうした用事は木曜日にすることにしているが、なぜ皆わざわざ混み合っている週末、つまりギリギリに引き出しをするのだろう。ATMの故障ということだってあるし、前倒しにしておけば自分も楽なのに…。

 

午前中の用事を済ませ、お昼は近所の蕎麦屋に行った。だいたいは普段は家で食べるのだが、今日は急に「天ざる」が食べたくなったのだ。

 

普段は、この蕎麦屋へは、1時を過ぎてから行って、その時間だと空いているので、

四人掛けの席で悠々と蕎麦を食べて、置いてある週刊誌などを読んでくるのだが、今日はお腹が空いてしまったので、11時半に出かけた。

 

ここの天ぷらはカリッと揚がっていて、かなり美味しいほうだと思う。

 

また、お店のおばさんたちが結構親切で居心地がよく、お茶などが切れていないか、よく見回って声かけなどをしてくれる。相席も原則させない。立て込んでいて、待たされたときは、「すみませんねえ」といって割引券などをくれたりもする。蕎麦屋は厨房(これは男性だと思う)というより、おばさんたちでもっているのかも。

 

何度か、ひどく体調が悪く、食欲もない時に、「ここなら」と思って行って、お蕎麦を食べているうちにだんだん元気になって、ゆっくりとくつろいで帰宅したこともあった。この蕎麦屋の存在には、そういう意味でとても助かっている。見たところはただの普通の蕎麦屋なのだが、私にとっては命綱というと大げさだが、「癒しの蕎麦屋」なのである。

 

「癒しの蕎麦屋」は、薀蓄や能書きが多いとか、凝り過ぎた店構えの蕎麦屋、あるいは有名店では却ってダメなのである。街かどの普通の蕎麦屋でないと。ただし、普通の蕎麦屋でも、騒がしかったり、お店の人に気遣いがない場合は、「癒し」にはならないので、ありそうでなかなかない。

 

大満足して家に帰り、熊本の甘夏みかんを食べた。ジューシーで美味しかった。このあいだまでは、鹿児島の甘夏みかんが出ていて、これも美味しかったが、季節がまた少しすすんで産地が変わったのだろう。再来週はもう五月だもの。

 

(蕎麦の写真の天ぷらには、ピーマンがあったのだけど、食べてから気がついて写真をとったので、ピーマンがうつっていません)

 

 

艦上スピーチ

 夜が明けるのがだんだん早くなり5時にはもうかなり明るくなっている。

 

今日あたりが、八重桜が満開。一週間前ぐらいは、まだ茶色っぽい芽吹きだった欅の梢も、鮮やかな黄緑色を日ごとに増している。

 

最近は勉強を兼ねてよくニュース映像を見るのだが、昨日来日したペンス副大統領がロナルド・レーガン艦上でおこなったスピーチというのを聞いていたら、20分ちょっとのスピーチでfreedomという言葉が少なくとも20回ぐらい出てきたのではないかという印象だ。

 

https://www.dvidshub.net/video/519883/vice-president-pence-aboard-uss-reagan

 

拍手がパラパラという感じではあるが、それがまた自然な感じだった。もし、要所要所で嵐のような拍手になったら、それはそれで独裁国家のようで恐ろしくもある。私は、むしろ、このパラパラ拍手に自由主義国家のfreedomというものをリアルに感じた。帽子の陰ではっきりとは分からないが、兵士たちの表情にも。そこにはちょっと退屈したりする「人間の貌」がある。

 

翁が亡くなる前年に幻の祖国へ旅して、どんな印象をもったのか私は知らない。どこの町を訪ねたのかも知らないが、何も伝わってこないところを見ると、多分あまり芳しい印象を持たなかったのかもしれないと思う。

 

私はかの国へ行ったことはないが、ヨーロッパへのトランジットでモスクワの空港へ降りたことはある。1970年代だからもちろんソ連時代であり、暗い照明の空港と警備をするたくさんの兵士たち、たしか手荷物検査も軍服の担当官だった記憶で、何も問題はないはずだが、軍人が大勢でとても緊張したことを覚えている。

 

薄暗いロビーでは、掃除のおばさんがだるそうにモップをかけていた。

 

もちろん今ではそんな雰囲気ではないのだろうし、一党独裁旧ソ連とは異なり、政党政治をおこなっているわけだが、それでもある種強権的な政治がおこなわれている印象は否めない。

 

翁は巡礼というだけあって、もちろん教会や修道院に行ったのだろうが、そこでも「なにか違う」と感じたのではなかったか。

 

改めて、freedomとは、人間が人間らしい顔をできる、ということなのだな、と感じた日だった。

 

 

 

八重桜と嵐

昨日に引き続いて、暖かいというより暑い日。今日も25度ぐらいになるとか。が、夕方からは発達した日本海低気圧のために、全国的に荒模様になるらしい。雨、落雷、突風などの春の嵐

 

ベランダの前に八重桜の木がある。ソメイヨシノが終わり、今度はこちらが開花し始めた。3年前こちらに来たときにこの八重が咲いていたので、「ああ、あれから三年経ったのだなあ」と感慨深かった。

 

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今日は光明週間のはじめの日。Bright Monday.

 

Chirist is risen !

 

 

添え木

 

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昨日は日中は20度ぐらいになったりもしたが、朝晩は冷え込んで、暖房が必要だった。今日はかなり暖かくなって、エアコンは切った。今週は受難週で、今日は聖大金曜日

 

暖かくなると途端に忙しくなり、鉢植えを整理したり、いらない雑草を抜いたり。といっても、植木鉢程度なのだが、タンポポやシダなどがすぐ根をはったりするので、油断できない。ラヴェンダーが元気になって、どんどん背丈が伸びて、花芽が増えている。

 

「チャトランの木」引っこ抜きの件は、今後のこともあるので、管理事務所に報告したら、深く植えなおして、頼んでいないのに、親切にも支柱まで立ててくれた。昨日などは風も強かったので、これなら安心である。今朝も水やりをした。

 

3月の終わりぐらいから、小鳥たちが急に鳴きだすようになった。今も、とても美しく、凝ったコロラトゥーラを聞かせる鳥が、一羽鳴いていた。ほんとうに春うららである。

 

先にも書いたけど、今年は本当に不思議な桜の咲き方で、人々はまだ花見をしている。これで足掛け3週間ぐらいになる。昨日は大公園を散歩したが、レンギョウユキヤナギ山茶花もまだまだ咲いて、さらに桜が満開で、花の大饗宴といったところ。人々が思い思いにピクニックを楽しんでいた。

 

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チャトランの木

 

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一日中降っていた昨日の雨もあがって、爽やかな晴れの日。桜の花びらが風にのって、ベランダへ入ってくる。風が吹くと、ゆっくりゆっくり空中を舞いながら、降りてくる花びらたち。

 

豪華な花吹雪より、ひとひら、ふたひら、ゆっくり舞う姿のほうに興趣を感じる。穏やかな風の日でないとならないし。

 

冬のような日が続いて手放せなかったダウンコートやブーツの片付けなど、季節の変わり目にはいろいろやることが多い。ようやく春が来た、という感じだ。

 

先日、近所の子供達が猫が原に侵入して、ニセアカシアの小さな木を引っこ抜いて引きずっていくのを、たまたまベランダで鉢の整理をしていて見つけた。

 

ここの植木はきちんと管理されている「他人のもの」であることを言い聞かせ、植え直させた。

 

大きく横に張っていた根がちぎれてしまったので、根付くかどうか心配である。もともと隣の藪のようなアオキ?みたいなものを避けるように地面に向かって傾いて生えていた木なのであった。

 

まっすぐに植えるしかなかったが、隣のアオキと少し絡まってしまう。それで、ヒモでアオキを別の木のほうへ引っ張ってゆわえ、根付くまで、絡まないようにした。

 

しかし、今日になってよく考えてみると、最近は強風も多く、その場合は、むしろアオキがあれば絡まって支えになってくれるだろうと考え直した。

 

私が手をかけたのが、かえって仇になるかもしれない。自然は自然に任せよう、と思って、ヒモを切りにいった。

 

昨日は終日雨だったので、水やりはかえって根のまわりの土ががゆるんでよくないかなと悩んだが、ある程度水やりもしてみた。事情を知らないひとは、わざわざ水やりをしているへんなひと、と思っているかもしれない。猫が原には掃除の人や植栽管理のひとしか、普段は入らないからだ。

 

この木は、かつて、めったに来ない、ボビさん似の茶トラの猫がよくその下で寝ていた

私にとっては大事な木なのであった。